【短編】フクシマ・福島・ふくしま

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“命に住所なんてない!”と思いつめた言葉を吐き出したあと、福島から九州へ避難したその友人から、私の携帯にメールが送られてくるのだった。
「最近ね、夕食の前に旦那とワインを飲むの。もちろんお金もないし、ぜんぜん安いワインなんだけどね。1日に1回だけでも、平和を噛みしめる時間ていうのかな――今はそういう儀式みたいなものが、とても大切に思えるの」
「Re:そっか。日常って意味のない儀式の積み重ねみたいなものだしね。でも今の福島には、意味の無いものなんて何もないんだよね。空気にも水にも、真っ赤な夕日にさえ何か意味があるの」
 私のダンナは東電の社員だからあの事故からずっとフクイチで戦っていて、その運命の震源地みたいなものが、現実のあれこれを考える上での起点になっていて、
「Re:Re:別に、あんたの旦那に責任があるわけじゃないのにね。あとさ、福島の人間はもっと放射能のこと自覚しろよとか平気でいうけどさ、ある日突然、自分たちがずっと暮らしていた場所に死の灰なんかばらまかれたらさ、誰だって迷子になるでしょ」
 まるで右も左も分からない、赤ん坊みたいなものかもね。
「Re:Re:Re:じつはね、私今妊娠してるの。でも福島で子どもを産むなんて、正気じゃないよね。でも私、産みたいと思っている」
 別にダンナがフクイチで戦っているからとか、そういう義務感に囚われている訳じゃないの。
「私ね、今この場所でちゃんと生きてるんだってことを誰かに証明したい。ここには以前と変わらない家族の顔がならんでいて、ここにはちゃんと体温を持った人間がいて、毎日泣いたり笑ったりしているんだってことを誰かに伝えたい」

 それから何週間も待ったけれど、九州の友人から返信はなかった。私はたぶん狂っているのだろう。現実が見えていないのだろう。
“こんなママでごめんね。だけど君はなぜ私のお腹をえらんだの? 私でなきゃいけない理由が、君にはあるのね”
 私のダンナはたまに休暇をもらって、フクイチの現場から60kmほど離れた避難先のアパートに帰ってくる。彼はとくに疲れた素振りは見せないけれど、少しだけ若白髪の数が増えたような気がした。
“二兎追うものは一兎も得ず”
 彼は私の膨らんだお腹に手を当てながら呪文を唱える。
“底辺×高さ÷2”
 それ何の呪文なの?
“三角形の面積”
 ピンポーン。宅配便だ。
 九州に避難してる友人から、野菜や米がどっさり届いた。
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【短編】質問

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 寒い夜、俺は近所で買った一番安いウイスキーを飲みながら、放射能をむさぼる緑色の息子を眺めている。
 今夜は風が強いので仕事は休むことになったと、夕暮れの組合長は私に電話をよこした。今夜はゆっくり休め。仕事は逃げて行かないのだから、今夜は風が強いだけなのだから心配するなと。
 俺は空になったグラスにまたウイスキーを注ぐと、居眠りをする古時計のようにグラスを揺らしながら自分の息子にこう訊ねる。
 放射能はうまいか。
 学校は楽しいか。
 すると緑色の息子は口いっぱいに放射能を頬張りながら、モグモグと、言葉にならない返事を俺にかえす。
 そうか、うまいかと俺は息子の頭を撫る。でも放射能を食べた後は、ちゃんと歯を磨くんだぞ、放射能でお腹がいっぱいになったからといって、そのまま眠っては駄目だからな。
 すると緑色の息子はテレビの芸人を見ながらゲラゲラと笑う。
 父の話などきいてもいない。
 まったく。
 テレビなんかに出ている人間の、何がそんなに面白いのか俺にはさっぱりわからないのだが、息子の笑う顔を眺めていると、ただそれだけで自分は幸せだと思える。
「ねえ父ちゃん、馬刺ってどんなあじがするの?」
 息子の母親は、彼が生まれたあとすぐに死んでしまった。
「じつは父ちゃんも知らないんだよ。さあテレビを消しなさい。子どもはもう寝る時間だ」
 きっと馬刺は、馬のあじがするのさ。
「じゃあ人間は、人間の味がするってこと?」
 俺は、息子の境遇が不幸だとは思いたくない。たとえ緑色でも。
「だから早く寝ろと、お前の父ちゃんはさっきから何度も言っているだろ。人間が人間を食べたら、もう人間じゃなくなるんだよ」
 部屋の隅で眠っていた夜の電話機が鳴る。
 出ると女の声がきこえた。
「ねえ、今夜は仕事がないのでしょ。風は強いし、とても寒いでしょ」
 緑色の息子はパジャマに着替えて歯を磨いている。
「ねえ、あなたも放射能たべてるの?」
「まあな、みんなたべてるだろ」と俺は言って、受話器を右手から左手に持ち替えた。「ところで俺、君の声をなんとなく覚えているよ。でも名前が思い出せないな」
「息子は寝たの? あの、緑色の息子は」
 俺は何も言わずに電話を切った。
(ねえ……)
 しばらくするとまた電話機が鳴った。
「ねえ、西ローランドゴリラも放射能たべてるの?」
 俺は何も言わず、暗い部屋の中で女の声を聴いていた。
「ねえ、なぜ電話を切らないの?」

【短編】取材

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 原発さえなければ、と老いた酪農家夫婦は吐き捨てながら、糸が切れたように肩を落とすと夏草の繁る地面に頭をうずめそのまま動かなくなってしまいました。
「大丈夫ですか」と私は言って取材のマイクを夫婦に向けたのですが、牛舎の牛はモーと鳴いているばかりだし、ときおり小高い山から鳥の鳴き声が聞こえてくるのでした。
「事故を起こした電力会社に対して何か言いたいことはありますか? もしもし? いま国に要求したいことは? もしもし?」
 私は仕方なく、ぴくりとも動かなくなった酪農家夫婦を敷地の奥にある母屋まで運んでいきました。次の取材地までは結構距離があるし、車へ乗り込んだ私は逃げるようにその場を後にしました。

 のどかな田舎道。赤いトラクターが時間を忘れたようにゆっくりと緑の田園の中を動いていました。私は途中で、大袈裟な防護マスクを装着した白装束の集団を通り過ぎたのですが、半キロほど車を走らせたあとやはり気になって車をそのままバックさせました。
「あのすみません。取材してもよろしいでしょうか?」
「取材はちょっとね……。あたしたちは米国政府から派遣された調査団なの。それ以上のことは話せないわ」
「では伺いますが、いまだに多くの人が生活しているこの地域の放射能汚染について、専門家の立場から意見を」
 ふいに車のボンネットの上に蛙が飛び乗ってきました。
「まずは専門家の言うことを、疑うことから始めるべきね。蛙さん」

 私は次の取材地に向かって車を飛ばしました。都市へ近づくにつれ、私は気分が悪くなってきました。夏バテのせいかもしれませんが、取材を申し込んでいた少年野球チームと合流したときはもう息が絶え絶えで、チームの監督は顔が真っ青だと言って私を気遣ってくれました。子供たちは炎天下のグラウンドで大きな声を出しながら守備練習をしていました。
「さっそく、野球チームの放射線対策について伺いたいのですが」
「それよりあなた、少し横になったほうが」
 私は我慢しきれなくなってグラウンドの隅で嘔吐しました。すると突然低いエンジン音が聞こえてきて、岩のような装甲車がグラウンドに侵入してきました。車のハッチが開くと白い防護服を着た連中がぞろぞろと這い出てきたのですが、よく見ると彼らの手にはバットやグローブが握られていました。
「いったい何が始まるのですか?」
 子供たちは黄色いユニフォームを着て整列していました。
「交流試合です」

【短編】崩壊

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 ねえダーリン。私がもし宇宙人だったらどうする?
「え、君は宇宙人なのか?」
 私の血が緑色で、くちびるがもしヴァギナだったらどうする?……ねえ真面目にきいてる? ヴァギナとはつまり、女性器のことなんだけどね、
「知ってるよ。中学で習ったし、この世で一番難解な形をしているね」
 うん、たしかに理解不能かも。耳の形は迷路みたいだけど、ヴァギナの形って、ある物語の本質を一瞬で表現しようと思ったらついこんな形になったんじゃないかって、
「あるいは腐った内臓みたいなものを集めて作った詩だね……冬の怨念とか夏のそよ風なんかが出鱈目に集まって、でもぎりぎり崩壊せずに、それぞれの言葉がバランスしているような」
 いいえ、きっとバランスは壊れ続けているのよ。ヴァギナって一瞬の風景でしかないの。そして一瞬はね、いつも永遠を内に秘めているのだけれど、永遠はまるでアリンコを一匹づつ踏み潰すみたいにその一瞬を殺し続けているの。
「君のヴァギナは蟻地獄か? 気持ちいいのか?」
 もう、エッチなダーリン。もっと真面目な考えなきゃ駄目でしょ。想像力はときに人を傷付けることがあるのよ。
「君を傷付けるなんてそんな……でも傷付いた君はきっと素敵さ」
 私だけじゃなく、傷付けられるものはみな美しく壊れていくの。
「ああ、君を傷付けたいよ……でもこの僕に、君を傷付ける資格なんてあるのだろうか?」
 ないわ。でもある、あなたに傷付けて欲しいと思う瞬間がある。一瞬だけその傷の中で、あなたと一つになれる瞬間があるの。とても耐え難い、苦しみなのに、
「だったら君の代わりに僕を傷付けてくれよ。そして二人で崩壊していくんだ」
 それは出来ないの、ダーリン。傷は孤独を生きているから、一緒に傷付くことは出来ないのよ。私たちはお互いに、お互いの傷の深さや痛みを想像することしか出来ないの。
「それでもなお僕は、君の痛みを、孤独を知りたい。そうでなければ生まれてきた意味なんてない」
 それでもなお私たちは、孤独の意味を探さなければならないの。人間であるということは、孤独であることを選ぶということなの。だけど人間は孤独の深さを愛や美という言葉に置き換え自分を慰めるの。
「違うよ。だっていま目の前に君がいて、そして君の目の前には僕がいる。それがすべてさ。僕は君に触れることが出来るし、僕たちはそこからすべてを始めることが出来る。孤独も愛も、まだ知らない場所からね」

【短編】役

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 夏に向かいながら溶けていく、君は真っ白な後悔のようだと僕は思った。
「ねえ、なんで砂漠の真ん中でアイスクリームなんか売ってるの?」
 きっと誰かを待っていたいのだろうね。
「ふうん、あなたって寂しい人なのね。バニラアイスちょうだい」
 うちはバニラアイスしかないけどね。
「それでいいわ。選べないことは素敵なことなのよ」
 君はビーチパラソルの陰に腰を下ろすと、脱皮する虫のようにモゾモゾと服を脱いだ。
「ああそれからあなたの分のアイスもね。私と二人分ね。お願いね」
 君って柔らかい暴力みたいだな。
「つまりあなたは、傷ついていたいだけなのよ。それよりアイスまだなの?」
 僕は二つのコーンにバニラアイスを盛ると、砂の上に寝そべるビキニ姿の君に手渡した。
「一つはあなたの分よ。はい」
 僕はアイスを売る方の役だからいらない。買ったアイスをどうするかは、君の自由だけど。
「役ねえ。それは考えてなかったわ」
 そう言うと君は右手に持った方のアイスクリームを、もの言わぬ砂漠に向かって思い切り投げた。
「誰かを拒否する。それで何かを守ったつもりになれるのよね」
 僕は何も言わず、アイスクリームを詰めた冷凍箱の脇に寝転んだ。今日は店じまいだ。
「おやすみ。あなたを困らせる気はなかったの。おやすみ」
 僕は夢の中で、砂漠に帰っていく君を見送った。本当はどこにも、帰る場所なんかないんじゃないのか?
「そして夜が明け、次の日がやって来ました。私はビキニを剥ぎ取り、真っ裸であなたの前に現れました。私は昨日と同じ調子で、あなたに二人分のバニラアイスを注文しました」
 朝、夢の終わりに現れた君は何やら深刻な問題を抱えているようだった。君の黒い髪の毛が、何かを諦めたようにポロポロと抜け落ちていく。君は病気か? もう死んでしまうのか?
「そのうちまゆ毛も、陰毛だってすべて抜け落ちるわ。あなたはただ自分の役を演じていればいいのよ。ほら、もう体の皮膚も溶け始めているでしょ。だから早くアイス作ってよと私がせかすと、あなたは青ざめた顔をしながらコーンにアイスクリームを盛った」
 一つは僕の分でいいんだな。分かったから、君はもう何も言わなくていいから。
「今日はずいぶん優しいのね。だけどもう肺も、心臓も胃も腸も、筋肉も子宮も唇も溶けて駄目になってしまうの。最後にセックスしたかったな、赤ちゃんうみたかったな、でもその子が挫折して、変態野郎になったら嫌」

【短編】僕の鳥

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 僕の鳥は鳴いていた。声を探して鳴いていた。
「ママお仕事に行ってくるからね。たぶん今夜は帰らないからね」
 からね。
「冷蔵庫に牛乳入ってるでしょ。お腹がすいたらパンもあるし。おじさんからもらったオモチャもあるでしょ」
 でも僕はね、おじさんが部屋にやってくる水曜日になると死にたくなるのでね、カレンダーから水曜日を切り取ってママの灰皿で燃やしてるんだ。
「セイラはまだ熱があるんだからね」
 セイラは僕の妹で、僕の鳥と話が出来るんだ。
「じゃあ行ってくるね」
 だからセイラは水曜日のおじさんからいつも何をされているのかということを、僕の鳥に話しているのだと思う。
――オレは水曜日のママの代わりに君らの面倒をみてやってるだけさ。オレは鬼じゃないんだよ。
 そうかな。おじさんは水曜日、新品のエンピツをケースから取り出すと、セイラを部屋に呼んでセイラに変なことしていたじゃないか。でも僕は別の部屋でアニメのDVDを観てるようにと、水曜日のおじさんに言われたんだ。
――お兄ちゃんにはビスケットをあげよう。でもママに喋ったら、君たちを殺してオレも死ぬからな。

 三月十一日の金曜日。ママが出かけてしばらくすると大きな地震がやってきて、部屋の中を目に見えない怪獣が暴れ回った。僕は熱を出して寝ていたセイラの手を引っ張ってベランダへ逃げた。
――じきに津波がくるわ。
 ねえママ、僕たちは死ぬの?
――たぶん今夜、ママは帰らないから。
 高いベランダから下を覗くと海がやってきて、家や車が木の葉のように流れていた。それに水曜日のおじさんも僕たちに手を振りながら流されているのが見えた。さよならを言う時間さえなかった。

 あれから1ヶ月後、避難所で生活をしていた僕たちに、ママの遺体が瓦礫の中から見つかったと大人の人が教えてくれた。でも久しぶりに会ったママの顔はジグソーパズルみたいにばらばらになっていたので、セイラはそのばらばらのパズルを必死に組み直してママの顔に戻そうとするので僕はセイラの手を握って人間の顔はパズルじゃないんだよ教えた。そして二人で線香をあげてママにさよならを言って立ち去ろうとした瞬間、ママの口元がなにか言いたげに動いたかと思ったら、もうずっと忘れていた僕の鳥がママの口からむずむずと這い出してきて、広い死体置き場に春が来たかと思うくらいに大きく、ほがらかに鳴いた。
 死者たちはあくびを漏らすと、言葉を探し始めた。

【短編】女の子

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 僕の恋人は詩人である。それから忘れないうちに言っておくと、僕の恋人はアンドロイドであって、彼女はアンドロイドであるがゆえに詩人なのであって、つまりアンドロイド風情が詩人のまねをしていると考えるのは多分間違っていると僕は思う。
「ねえたくちゃん」
 と彼女が僕を呼ぶとき、じつは僕の本名は全く違うということに僕は少々苛立っていて、
「ねえねえたくちゃんたら、いまエッチなこと考えてるフリして何も考えてなかったでしょ」
 と言われても、本当は少しエッチなことを考えていたのだが、
「まあそうともいえるね」
 と僕は極力、アンドロイドであり詩人でもある彼女の会話に自分を合わせるようにしているのだけど、彼女にとってはそういう気遣いこそが二人の距離を遠ざけているのだという。
「ねえたくちゃんていうかタクアン和尚、もしくは君が東京タワーのてっぺんからエッチな言葉囁いてくれたら、私いける鴨」
 これは詩なのか?
「僕はたくちゃんでも、ましてやタクアン和尚でもない」
「知ってるわ」
 僕はいよいよ馬鹿にされているような気がしたので、彼女の無防備な春色の頬をパチンと平手打ちした。
「もう君を気遣うことはやめた。あまり調子に乗るなよ!」
 僕は春が嫌いだ。でも彼女の頬は柔らかい。
「最低。女の子に暴力ふるうなんて」
 と言って僕を睨みつける彼女を、優しく抱きしめようとすると彼女はボクサーのように身をかわしながら僕の股関に一発、強烈なひざ蹴りを入れ部屋を出ていった。
 そして床にうずくまる僕は世界を呪う塊に成り下がっていた。何か優しい言葉が必要だった。
「ごめんね、たくちゃん」と彼女が電話をよこした。「私のこと嫌いになっていいよ」
「今どこにいる?」
「知らない」
「僕を嫌いになったのか?」
「わからない」
 僕は鉛のように痛む股関を引きずりながら彼女を捜しに出掛けた。女の子って本当に面倒くさい。

 それから僕は何日も街をさまよった。ある晴れた日、後ろ姿が彼女に似ていたので僕はその女に声をかけた。
「すみません。あなたは詩人ですか?」
「そうだけど」
「あなたは彼女そっくりですが、あなたは僕の捜している人ですか?」
「私、人じゃなくてアンドロイドよ」
「僕の名前知ってますか?」
「私、好きな人の名前は全て記憶から消去するの」
「なぜ?」
「だって好きな人が、死んだあともずっと同じ名前なんて耐えられない。だから先にね、名前のほうを殺すの」!」
 僕は春が嫌いだ。でも彼女の頬は柔らかい。
「最低。女の子に暴力ふるうなんて」
 と言って僕を睨みつける彼女を、優しく抱きしめようとすると彼女はボクサーのように身をかわしながら僕の股関に一発、強烈なひざ蹴りを入れ部屋を出ていった。
 そして床にうずくまる僕は世界を呪う塊に成り下がっていた。何か優しい言葉が必要だった。
「ごめんね、たくちゃん」と彼女が電話をよこした。「私のこと嫌いになっていいよ」
「今どこにいる?」
「知らない」
「僕を嫌いになったのか?」
「わからない」
 僕は鉛のように痛む股関を引きずりながら彼女を捜しに出掛けた。女の子って本当に面倒くさい。

 それから僕は何日も街をさまよった。ある晴れた日、後ろ姿が彼女に似ていたので僕はその女に声をかけた。
「すみません。あなたは詩人ですか?」
「そうだけど」
「あなたは彼女そっくりですが、あなたは僕の捜している人ですか?」
「私、人じゃなくてアンドロイドよ」
「僕の名前知ってますか?」
「私、好きな人の名前は全て記憶から消去するの」
「なぜ?」
「だって好きな人が、死んだあともずっと同じ名前なんて耐えられない。だから先にね、名前のほうを殺すの」

【短編】天使の矢

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 あてもなく放った一本の矢は、短い春休みのように素っ気ない放物線を描きながら、晴れた公園を歩く女の胸に突き刺さった。
「ごめん」
「いいの。でもあなたは夢と現実を区別することから逃げてる。それが不満なの」
 女は映画のスローモーションのようにゆっくりと、時間を引き伸ばしながら地面へと倒れていく。
「君だって迷ってるし、映画のヒロインを気取ってる」
「私待ってるの。私を受け止めてくれる誰かをね」
 僕は弓を放り投げると全速力で駆け地面スレスレに女を受け止めた。
「君はもう死ぬのか?」
 女は胸に矢が突き刺さったまま、僕の腕の中で力なく春の空を眺めた。
「私多分死ぬから」
「ずるいよ」
 僕は女を抱き上げて病院を探し、一番最初に見つけた産婦人科に駆け込んだ。しかし受付には誰もおらず、まるで野戦病院のように患者が溢れかえっている光景が目に入った。包帯をぐるぐる巻きにした人や点滴を腕に刺した人、そして時折心臓を引き裂くような叫び声。
「あのすみません」と僕は近くにいた看護婦に声を掛けた。「急患なんです、胸に矢が刺さってるんです」
 看護婦は軽く溜め息をつくと薄っぺらいゴザのようなものを床に敷いて女をその上に寝かせるよう僕に言った。
「すぐに先生を呼んでくるから。悪いけど、ベッドも人手も足りないのよ」
 それから五分程すると血まみれの、地獄から這い上がってきたような医師が現れた。医師は矢の刺さった女を一瞥するとハサミを取り出し、まるで変質者のように女の衣服を切り裂いていった。
「幸い、急所は外れているようだね」
 医師は女の矢を静かに抜き取ると僕に手渡した。
「矢は乳房に刺さっていただけだ。感染症の恐れがなければすぐに退院できるよ」
 隣にいた小悪魔みたいな看護婦が、地獄から来た医師の額をタオルで拭った。
「いったい何が起こっているのですか?」と僕は病院の状況を医師に尋ねた。「革命かテロでも起こっているのですか?」
 すると医師は宇宙人でも眺めるみたいに僕を見た。
「そんな冗談はやめたまえ」と血まみれの医師は言うと立ち上がった。「彼女は妊娠しているようだね、母体に過度なストレスを与えぬよう気を付けなきゃね、お父さん」
 医師は再び地獄へと戻って行った。
 僕は一瞬手に持った矢を突き刺して女を殺そうかと思ったけれど、生まれてくる子供がこの世界に絶望する顔を見るのも悪くないなと思い、小さい頃天使から貰ったその矢を二つに折った。

【短編】月の裏側で会いましょう

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 携帯の電池は切れかかっていた。
「むうう~んが、がんばれえええ~っ!」
 僕は、何かの冗談みたいに明る過ぎる病室の中で点滴を受けている。
「僕さ、睡眠薬ビンごと飲んだから今すごく気分悪いんだよね」
「もしもし? たけちゃん学校に好きな女の子いるの?」
「いない……あのさあ、携帯ぜんぜん充電してないからもう電池切れちゃうよ」
「じゃあ、ゆかりんが恋人になってあげるでゴワスよ西郷どん」
「でも僕らいとこだし、ゆかりは大人だし」
「わっはっは、冗談だってバンジージャンプ!」

 次の日、ゆかりは僕の病室を訪ねてきた。
「ほれお見舞いだぞ」とゆかりは言って、白いベッドの上に表紙がヨレヨレになったエロ本を放り投げた。「アタシのお気に入りさ」
「お気に入りって?」
「ゆかりん女の子が好きなの。まあ男もいけるけどね」
 ゆかりは急に何を思ったのか、僕の頭をワシ掴みするとボーリングの玉みたいにぐりぐりと撫で回した。
「うっひっひ、元気になれよ坂本龍馬!」
 僕が手を振り払おうとするとゆかりは、僕をベッドに押し倒してキスをした。耳を舐めたり舌を入れたり。
「ぷっはー! これで充電完了ぜよ! じゃあな」

 ゆかりが帰ったあと、僕はヨレヨレのエロ本を開いてしばらく眺めた。でも気分が乗らなくて、試しにゆかりのことをオカズにして抜いてみた。2週間ぶりに。
「ヤッホー」
 携帯に出るとゆかりの声が聞こえた。
「エロ本役に立ったかニャ? じつはゆかりん今度結婚するの。ダーリンはね、エジプト人のイケメンなんだ」
「いったい何の話?」
「そんでね、エジプトの女子って超可愛くて、超萌えまくりんぼーダンス×3=村上春樹なの♪」
 つまりゆかりは結婚して、その相手とエジプトに行ってしまうという話だった。
「初耳だね」
「えっへっへっ、吉田松陰もビックリさ」
「ねえ」僕はずっとゆかりにききたいことがあった。「なんでゆかりっていつもテンション高いの? ウザいと思ってる人だっていると思うんだよね。あとさ、ついさっきゆかりのことオカズにしたから」
 ゆかりは月のウサギみたいに押し黙っていた。
「あ、あ、結婚おめでと、本ありがと」
 携帯の向こうでウサギは小さく笑った。
「エジプト人の彼ってね、チンチン起たない人なの。だからアタシ、彼と生きていくことにしたんだ」
 ウサギは涙を流していた。
「毎晩ね、月の裏側で愛し合ってるの――誰も知らない、秘密の方法でね」

【短編】恋の魔法

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 トランポリンとランポリントは双子ではありません。この世に一秒違いで生まれた赤の担任でした。
 赤は副担任のランポリント先生のことを愛していましたが、それに嫉妬した正担任のトランポリン先生は最近学校を休みがちです。
「肺!」
 教室の後ろノセキの女が元気に手を挙げました。
「トランポリン先生はきっと恋をなさっているんです。だってアタシもノセキに恋してるから、先生のお気持ちよく分かるの」
 副担任のランポリント先生は、誰も座っていない正担任席を眺めました。
「肺!」
 今度はノセキが手を挙げました。
「みんなでお見舞いに行くってのはどうかな。例えば……誰かが先生にメールを送る。『先生にプレゼントがあります。部屋の窓を開けて下さい』。先生はアパートの二階の窓を開ける。何も無い。誰かのイタズラか? 先生は首をひねりながら一旦窓を閉める。しばらくすると何やら音楽が聞こえてくる。ロッキーのテーマだ。『♪チャチャーチャ~、チャチャーチャ~、こいーの~、いたーみ~、かなわーぬおーもいー、あきびーんにつーめうみーになが~しーた~。♪いつーか~、キミーの~、ゆめーの~、きしーべ~、たどりーついーたらー、恋のー魔法をといーてくだ~さーい~』。先生が再び窓を開けると、5年夏組のみんなが路上で大合唱。通報を受けたお巡りさんが警棒を振り回して制止するが、5年夏組のみんなは怯むことなく声を張り上げる。『♪せーかいーにひーとーつだーけーノセーキ、ほーんとーは赤、のーこーとあーいしーてる、そーのきーもーちーつたーえーられーなーくーてえ、はーちじーかんーそらーながめーていーまーす~。♪ナーンバ』」
「肺!」
 ノセキの女は歌を遮るように手を挙げました。
「もうやめて。それからノセキ最悪」
 すると教室の隅でうづくまっていた赤が、力を振り絞るように手を挙げました。
「ハイ」
 みんなの視線が、恋にやつれた赤に突き刺さります。
「わたし、ランポリント先生を殺してから死にます!」
 そう宣言すると赤はスカートをまくり上げ、太ももに忍ばせておいたナイフで先生を一気に刺しました。
「ノセキ、お前も死ねよ」
 ノセキの女は胸元から拳銃を取り出すと、間髪置かずノセキの頭を撃ち抜きました。
「地球が逆回転するくらい、君を愛してるよ……」
「起立!」
 三時間目の終了を告げるチャイムが鳴っています。
 トランポリン先生は廊下で一人、声も立てずに泣いていました。

プロフィール

Author:euReka(エウレカ)
euRekaと申します。小説や詩を書いています。

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