ツイッターにて、日々の考えを書いています

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【日々】ほんとうに東北を応援したいのであるなら

 東北を食べて応援することは、放射能を拡散させるだけの危険な自己満足の幻想です。もし我々がほんとうに東北の被災地を応援したいのであるなら、被災地を見殺しにする政策を進めている現在の日本政府に対して圧力を掛けるなりして、十分な復興予算を要求したり、土壌汚染や海洋汚染によって被害を受けた農家や漁師さんたちに対して、やはり十分な賠償金を支払うことや今後の生活を保障するような政策を要求すべきなのであって、現在日本政府がやっていることは、本来であれば放射能汚染の被害にたいして東電や国が支払うべきお金を、被災地応援と称して国民に負担させてやろうという策略であり、つまり東北の被災地を復興するためのほんとうの応援とは、国民の健康や幸せなど何も考えていない現在の日本政府にとっての、放射能汚染を軽く見せたりするためだけに用意された都合のよい東北応援キャンペーンに参加することではなく、現在の政治体制を改心させるか、あるいはどうにかして、今の政治体制そのものを解体することでしか被災者を救う道はないのだと私は思いますし、だいたい我々は日本人のくせに、ヒロシマ・ナガサキの経験や記憶や、放射能にたいする恐怖などまるで昔話のような扱いをしていますし、セシウムやプルトニウムや、地上を汚染している人工の放射性物質は、今も昔も、同じはずなんですけどね。

【日々】メモ(宗教~「人間として存在する」ことと、「生き物として生存」することの間)

居場所を見つけること。

意味を見つけること。

この空気を共有すること。

日常をみたす空気の意味を、匂いや重さや温度を見つけること(つまり与えられた状況に慣れるということ。そうでなければ生きていけないから)。

そして存在することを根元的に保証するもの(は原則的に存在しないが)。

世界を肯定すること(は出来るし、自分と他者との間で、お互いを肯定し合うことは出来る)。

欲望の取り扱い説明書を作ること(つまりそれは宗教であるが)。

限界を設定するのが仏教で、限界を設定しないのがキリスト教(あるいは、仏教は現実主義で、キリスト教は理想主義)。

今を生きるのが仏教で、未来や過去を生きるのがキリスト教(つまり仏教は、今この瞬間が何より大事なので世界を支配しようとは思わないが、キリスト教は時間と空間の中における自分の位置が気になるので、いつも世界を把握しなければならず、いつも世界を支配しなければならないという動機から抜け出せない)。

例えば、放射能汚染にたいして宗教はどう向き合えるのか(きっと向き合えないと思う。生身の人体が日常的に放射能を受け入れることなど出来ないし、現在の原発事故はすでに、限りなくコントロール不能の状況に陥っている。あらゆる宗教、あらゆる思想、あらゆる科学技術は、原発事故および放射能汚染に対してほとんど無力である(つまり逃げるしかない))。

それでは汚染地帯に我々の居場所は見つけられるのか?(無理だと思う)

汚染地帯の住民が被曝する(不作為の作為によって被曝させられる(つまり住民の被曝を放置すること。長期間におよぶ低線量被曝が人体に与える影響は、医学的にまだよく分かっていないという現状を逆手に取って、安心安全の心理工作をする))ことの意味はどこにあるのか?(未来の人々にとっては貴重な教訓になる。しかし、今を生きる人々にとっては将来ガンになるリスクを高める)

放射性物質の漂う空気を、我々は共有できるのか?(我々は安全と危険の間で分裂し続ける。国は安全であるとしか言わないだろうし、国の定める基準値は国の都合によって決まる)

宗教は無力か?(直接的には無力であると思うが、自分にとって何が一番大切なのかということを考えることは、すべての人にとって緊急の課題である)

生存するための根底的な条件(きれいな空気や水、安全な食べ物)が崩されたら宗教など無力か?(だからその根底的な疑問に答えるのが宗教の仕事でしょ)

「人間存在」と「生存」はイコールなのか?――否、イコールでないから人間は人間になれた(つまり生存に直接関係のないことをやってしまうのが人間(例えば豊かさの追求……だって携帯とか電気とかなくてもなんとか生きていけるでしょ))、と考えた場合――「人間として存在する」ことと、「生き物として生存」することの間にあるズレを埋めることが、すなわち宗教の意味であると(うん)

だから、

宗教も、我々も、沈黙してはならないと思う。放射能に対抗するすべは、まず生物としての生存をかけて逃げること、そして人間存在としての尊厳をかけ沈黙しないこと(つまり文句を言い続けること)。

ご無事であって欲しい

 東北・関東でとても大きな地震が起きてしまいました。見る映像、聞く情報、全てが現実離れしていて、とても想像力がついていけません。昨日からずっと何か重たい鉛のような棒で、体中を殴られ続けているような気分です。そして時折わけもなく、どうしようもなく泣けてきます。

 今はただ、みなさんの無事を心からお祈りするばかりです。

 euReka

千羽鶴、16羽目折ったど~!

 去年の年末(12/22)に書いた《「祈り」をテーマにして書いた詩》(http://eurekalarger.blog71.fc2.com/?mode=m&no=32)の中で、千羽鶴を8月までに折って長崎に持って行きたいと言ってしまったので、その詩を書いた次の日から、ひそかに折り紙を買って鶴を折っていました。
 しかしまだたったの16羽……。
 鶴を折ったことのあるひとなら分かると思うのですが、これが超めんどくさい。大まかに言って8つの工程。紙を折る数をかぞえたら26回。その他、形を整えるための微調整(じつはこれが一番重要)に細心の注意を払いつつ、ベテランの私でも(笑)、一つの鶴を折るのに5分は掛かってしまいます。でも、たかが5分とあなどってはいけません。この5分は、ただ過ぎていくだけの5分ではなく、誰かの幸せを祈り、不幸を悼むための5分なのだと思っています。1945年8月6日と9日の原爆投下もひどいけど、昨年2010年の自殺者数3万1560人もひどすぎる。しかもこの自殺者3万人越えの現象は1998年から13年も続いていて、それ以前は年間2万人程度だった自殺者数が、1997年の金融危機の影響で一気に跳ね上がったと言われています。(3万×13年=39万人、端数を入れれば多分40万人超(でも端数の一つ一つが、愛しく切ない命の一つ一つです))。広島・長崎で原爆投下直後から5年以内に原爆の影響で死亡したとされる人の数は約34万人。過去13年に起こった自殺者の数39万人は、広島・長崎の犠牲者の数を軽く越えています。この数字をどう見るかということは、一人一人の感性に頼るしかありませんが、私は現在の状況をきわめて異常だと判断します。
 だから私は鶴を折ります――というか今の世の中を見ていたら、鶴でも折らなきゃどうにもやってられない。自分の心をまともに、穏やかに保てない。
 まだ、16羽しか折れていませんが。

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