【短編】 いつか私を殺しにくる

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 その日は歯がとても痛かった。どれぐらい痛かったかということは説明しても伝わらないと思うので、おのおの今までに自分が一番痛かった歯の痛みや何かの痛みを思い出して欲しい。もし上手く思い出せなくても、話は勝手に進んでいくだけなので文字を追ってもらえればそれでいい。
 本当のところ、もう一週間も前から痛みが続いていたのだが、その日は痛み止めも全く効かなくなっていた。なので、私はとうとうその“痛み”と向き合うしかなくなったというわけだ。
 一時間だけでいいから休ませてくれないかと懇願すると、黒マントに身を包んだ“痛み”は、困った顔をしながら私の頬をなでた。
「あなたが辛いのは分かるけど、これも仕事だから仕方ないのよ」
「へえ、仕事なら何でもするのかい? 人殺しもするのかい?」
「今回は殺すところまではいかないわ。ただ痛いだけよ」

 私は天井を見て溜息をつくと、痛みを誤魔化すために部屋を出て、暗い夜道を歩き回った。しかし、小さな川に差し掛かったところで橋を渡ろうとすると、やつが橋の欄干に腰かけているのが見えた。
「今回は殺さないとお前は言ったが、いつか私を殺しにくるのかい?」
「そうね、そのときは優しく殺してあげるわ」
 夜の小川は星に照らされキラキラと輝いていた。この痛みさえなければ、もっと気の利いた言葉でその美しさを表現できるのかもしれないと思ったが、そこに美しいものがあるだけで今は十分な気がした。
「まだ仕事は残っているけど、今夜はこれで帰るわ」

 翌日、私は歯医者へ行った。治療用の椅子に腰かけると白衣姿の女が現れて私に挨拶をした。
「じゃあ、仕事の続きを始めるわね」と女は言うと私の頬をなでた。
 そして麻酔が注射され、虫歯を削られて、歯の神経が抜かれた。
 私から切り取られた神経の糸はヒクヒク動きながら成長し、やがて人間の赤ん坊の姿になった。
 当然、その赤ん坊は私から生まれたのだから、私が育てることになった。そして、女もよく私の部屋に来ては赤ん坊の面倒をみてくれるので、とても助かっている。女はこれも仕事のうちだと言っているが、私にはやつの目的なんてもうどうでもいいことだった。いつかこの女に自分が殺されたとしても、赤ん坊が幸せに生きていければそれでいいではないか。
「でも、あなたにはあなたの人生があるのだから、すべてを赤ん坊に託してはダメよ」
 じゃあ、私と結婚してくれ。
「やっと、その言葉が聞けたわ」
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【短編】 冷蔵庫の物語

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 そいつは冷蔵庫から出てくると、ハローと言った。私は冷えたビールを飲みたいだけだったので、誰かに挨拶されるなんて考えもしなかった。
「冷気が逃げるから、早くドア閉めたほうがいいわよ」とそいつは、ソファにくつろいだように腰かけながら言った。「それに、まずは冷蔵庫のドアを閉めないと落ち着いて話ができないでしょ」
 そいつが言っていることはその通りなのだが、このままドアを閉めたら、今置かれている状況を受け入れてしまうことになる気がしたので、私は一旦目を閉じて深呼吸をした。
 すると次の瞬間、バタンという音が聞こえたので目を開けると、そいつが冷蔵庫のドアを足で蹴っているのが見えた。
「目の前のことから逃げても何も解決しないし、物語はもう始まっているのよ」

 私は、自分の置かれた状況を一週間ほど静観していたのだが、そいつはいつもソファでゴロゴロしたり、お菓子を食べたりしているだけの存在でしかなく、物語が始まったようにはとても思えなかった。あるいは、何も起こらない物語もあるのかもしれないが、そもそも現実というのは物語のように何かが起こる必要はないのだ。
 しかし、一ヵ月ほど過ぎたあるとき、そいつは私のことを「兄さん」と呼び始めた。
「実はあたし、兄さんの妹なの。だから兄さんのことを兄さんと呼ぶことにしたの」
 本当の妹なら兄さんと呼ぶのは当然だろう。しかし、嘘の妹であるお前にはそんな資格はないと言って突き放すと、そいつは無言で冷蔵庫のドアを開け、再び冷蔵庫の中へ戻ってしまった。
 私は、ソファに座ってしばらくテレビを眺めたあと、何事もなかったように冷蔵庫を開けた。そこには、ビールや食材が入っているだけで、変わったものは何も見当たらなかった。

 そいつがいなくなってから、私はたまに手紙を書いて冷蔵庫の中へ置くようになった。返事が返ってくることもあれば、返ってこないこともあった。お前は嘘の妹であるが私の妹であることに変わりはないと手紙に書くと、そいつは、「はじめから兄さんの気持ちは知っていたわ」と返してきた。
 そして今、そいつは家電売場で冷蔵庫の販売を担当しているのだという……結局、冷蔵庫で話が終わるというのは月並みな展開かもしれないが、そいつはそういう物語で満足しているようだし、私も別に不満はない。それと、はじめから私の気持ちを知っていたなんて嘘だ。でも、そんなことも全部含めて、私はそいつが好きだ。

【短編】 幽霊と映画と手帳

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 こんにちは。

 わたしはだぶん幽霊です。
 なぜそう思うのかというと、誰かに話しかけても反応がありませんし、すぐ目の前にわたしがいても全く気づかれないからです。もともと人とあまり話すほうではなかったので、最初はそれほど気になりませんでした。しかし、何をしても相手の反応がないので、その理由をあれこれ考えているうちに、自分は幽霊になったのではないかと思ったわけです。だとすると、わたしはすでに死んでいることになりますが、自由に移動できるのは今いる公園の中だけなので、自分の死を確認することもできません。ただ、服装はコートとマフラーのままなので、もし死んでしまったのなら、そのときの季節はたぶん冬だったのでしょう。

 わたしは普段、公園のブランコに腰かけたり、桜の木に登って辺りを眺めたりしているのですが、何の目的も与えられず過ごしているせいか、時間が流れているのか止まっているのか、よく分からなくなることがあります。もちろん、昼と夜が変わったり、人が公園を歩いたりするという変化はありますが、わたしには、それがまるで映画のように見えてしまって、目の前で本当の時間が流れているのかどうか分からなくなるのです。二時間の映画なら、それを観た人にとっては二時間という時間が過ぎたことになりますが、映画の中では何年も、何十年も過ぎていることだってあります。当然、それは映画なので、その中で何十年過ぎようと何の不思議もないのですが、そう思えるのは、「これは現実ではなくただの映画なのだ」という安心があるからでしょう。

 そんなことを考えながらいつものように過ごしていると、わたしは公園のベンチに手帳が置いてあるのを見つけました。きっとこれは、昨日このベンチに座っていた高校生が忘れていったものでしょう。わたしは手帳を開き、付属のペンで「こんにちは」と試しに書いてみました。すると、紙の上にちゃんと文字が書けているのです。幽霊のようなわたしの書いた文字なんて普通の人には見えないかもしれませんが、もし手帳を開いたあなたにこの文章が読めたとしたら、わたしの存在を知ってもらえるかもしれません。あるいは、ただの悪戯だと思われるのがオチかもしれませんが、もし何かを伝えることができれば、あなたとわたしは、その瞬間だけでも同じ時間を過ごしたことになるのです。それはきっと、一方的に流れるだけの、映画の中の時間とは違うはずですから。

【短編】 いまそこに風が吹いているから

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地球上の5人に1人は宇宙人である。しかし多くの人にとっては、あまりピンとこない数字だろうと思う。公式に宇宙人の存在が認められ、地球に棲み始めるようになったのはもう300年も昔のことだが、いかにも宇宙人らしい宇宙人はほとんどいないため、街を歩いていてもそれらしい姿を見かけることはないだろう。だから宇宙人を自分の目で直接見たことがないと思っている人も少なくないのだ。そもそも宇宙人にはさまざまなタイプがあり、地球人と全く見分けがつかないような宇宙人や、小さすぎて見えない宇宙人、そして透明な体をした宇宙人などもいる。なので5人に1人と言っても、そうした分かりづらいタイプを全て含めた場合の割合であるため、あまりピンとこないのは当然なのだ。また、地球に棲んでいる宇宙人の大半は、地球人と全く見分けがつかないタイプの宇宙人なのだが、こうやって話をしている私もその1人なのである。

 私の場合は、64分の1が宇宙人の血であり、はるばる地球へやってきた宇宙人の7世代目にあたるのだという。国際的な基準では、血の濃さが128分の1までが宇宙人とされているため、私の子どもまでは宇宙人だが、私の孫からは地球人という扱いになるようだ。でも地球人と宇宙人には法律上の区別はないため、そのことは特に知らなくても問題はない。確かに、混血の宇宙人の中には念力やテレパシーを使える者もいて、たまに話題になることもあるが、元々そういう能力を持つ地球人もいるため、その原因が宇宙人の血によるものかどうかはよく分からない場合が多いのだ。ちなみに私は、人の血液型を当てるのが得意であり、相手が女性なら大抵言い当てることができる。なぜ女性なのかというと、好きになる女性が、決まってB型かAB型だからという理由もある。相手の女性が、自分の好きなタイプかどうかさえ分かれば、あとはAかOか、またはBかABかの2択になるので、4つの選択肢から選ぶより当たる確率は高くなるのだ。

 そういえば子供の頃、私のことを宇宙人だと言い当てた女の子がいて、その子のことを好きになったことがある。なぜ宇宙人だと分かったのか質問すると、女の子が私をみつめながら「いまそこに風が吹いているから」と言ったのをよく覚えている。私は何度もその言葉を思い返しながら、風に吹かれている自分や、それを眺めている彼女のことを想像した。でも最後まで、君が好きだとは言えなかった。

【短編】 すてきな三毛猫

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 すてきな三毛猫が、死んだ鼠を僕にくれます。
 しかし僕は鼠を食べませんので、それを庭に埋めます。そして盛り上がった土の上に鼠ぐらいの大きさの石を置き、手を合わせながら鼠の冥福を祈ります。

 このすてきな三毛猫は、よく死んだものを僕にくれるのです。
 死んだバッタや死んだトカゲ、そして死んだ携帯電話など、僕が喜びそうにないものばかりです。携帯電話のときもやはり庭へ埋める儀式をしたのですが、しばらくすると土の中から音が聞こえてきたので、ふたたび庭を掘り返す羽目になりました。出てきた携帯電話を耳にあてると、グリーンスリーブスの曲が電子音で流れてきました。僕は時間が止まったようにじっとその曲を聴いていたのですが、ちょうどそのとき、すてきな三毛猫が一万円札をくわえてきたので、止まった時間が急に動きだしたせいで転んでしまう人みたいに僕も転びそうになりました。でもよく見ると、お札の裏側は真っ白になっており、ただ「ごめんなさい」と一言書いてあります。そのお札は三日ほど取っておいたのですが、なぜそんなお札が存在するのか理解できなかったので、結局、庭へ埋めるしかありませんでした。

 でもすてきな三毛猫は、まだ死んでいないものを持ってきたこともあるのです。
 ある日、家の外からビービーと音がするので表へ出てみると、ヘルメットを被った女性が棒のようなもので庭の地面をなぞっていました。事情を聞くと、彼女は探知機で地雷を探しているのだといいます。
「といっても爆発する地雷じゃなくて、わたしが勝手にそう呼んでる地雷のことなんだけどね」
 ではなぜヘルメットを被っているのだろうと思いましたが、きっと話の肝はそこではないと感じたので聞かないことにしました。
「なんだか、この庭っていろんなものが埋まってるみたい。だけど埋めるという手段は、それ以外に方法がないときの最終手段でしょ?」
 すてきな三毛猫は、塀の上から僕がその人をどう処理するのかを眺めていました。でも彼女はまだ死んでいないので、鼠のときみたいに庭へ埋めることはできません。

 その後、地雷の彼女は僕の家に住みはじめました。
 そして、すてきな三毛猫が何かをくわえてきたときは、それを庭へ埋めるべきかどうか二人で考えることにしました。そうすれば、庭が地雷原にならずに済みますし、彼女も地雷を探す必要がなくなります。
 彼女の言う地雷が、いったい何なのかも知りたいですし。

【短編】 部屋

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 王様になって欲しい、とその男は私に言った。
 必要なときに王様の椅子に座っているだけでよく、あとは飲んだり食べたり、自宅に帰ったりしてもよいと。
「それから毎月、手取りで12万円の給料が支給されます。安いかもしれませんが、宮殿に寝泊まりすれば生活費もかかりません」
 宮殿で侍従長をしているというその男に、あなたは毎月いくら貰ってるんですかと質問すると、上手く話をそらされた。
「まあ、欲しいものがあれば宮殿の経費でも買えますし。土地や高級車みたいなものは無理ですが、ちょっとした洋服とか家電ならOKです」

 私は住んでいたアパートを引き払って宮殿に引っ越した。家賃や光熱費なんかを支払うと、給料の半分以上が飛んでいくからである。宮殿内で私に与えられた部屋は、8畳間にキッチンや風呂、トイレが付いた間取りであり、それまで住んでいたアパートよりは多少広かった。私は妹と二人で暮らしていたので、二部屋もらえるように希望したのだが、今は空いてる部屋はここしかないと言われた。
「高校までは少し遠くなったけど、いい部屋だと思うわ。前みたいに、部屋の真ん中をカーテンで仕切ればいいし」
 でも、妹は一応部外者扱いなので、妹の食費分として3万円が給料から天引きされることになった。

 妹は、昼間は学校へ通い、帰宅後は宮殿で小間使いのようなアルバイトをしていた。月に3万円ほどバイト代が出ていたようだが、それを食費として召し上げるのはさすがに気が引けた。それに妹は、アルバイトをすることで宮殿の人たちとも仲良くなったようだし、小間使いのかわいい衣装も気に入っているようだった。

 私が王様になってから数年後、妹は高校を卒業し、小間使いとして正式に宮殿で働いていた。8畳間の部屋は相変わらず二人で使っていたが、妹も仕事が忙しくなったせいか、二人で一緒に過ごす時間も少なくなっていた。いずれ妹にも部屋が与えられ、私一人でこの部屋を使えるようになる日も来るのだろうが、それはそれで少し寂しいと思った。

 妹が宮殿から消えたのは、そんなことを考えていた矢先である。
 一緒に消えたのは、あの侍従長の男だった。

 他の侍従たちに話を聞くと、侍従長には妻子がいるので、妹と二人で駆け落ちでもしたのだろうと。
 それで、私も王様としての、または兄としての責任を取らなければならないことになり、その妻子は今、私の8畳間の、カーテンの向こうで暮らしている。

【短編】 遺品 (17/03作)

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 それは30センチメートル四方の平べったい木箱だった。昆虫の標本箱みたいにガラス張りになっており、祖父が言うには、その箱の中にはきわめて小さな体をした人間が沢山棲んでいるのだという。だから毎日水や食べ物を与えたり、日光に当ててやらなければならないのだと。

「この箱の中では、1ミリが1キロメートルの長さになる。だからね、この箱は九州がすっぽり入るぐらいの大きさがあるんだよ」

 しかし箱の中はカビのようなものが所々に生えているだけで、だた眺めていても面白いものではなかったのを覚えている。それに、アメリカやロシアが大きいことは知っていたが、当時子どもだった私には九州の大きさが上手く想像できなかった。地球儀で探したら、日本でさえ小さなシミにしか見えないのだから。

「もう50年も前になるが、一度、箱の中を顕微鏡で調べたことがあってね。カビの生えたようなところを覗いてみると、建物のようなものがたくさん集まっているところが見えたのさ。それで、もっと倍率を上げてみると、人のような形をしたものが幾つも動いているのが見えたんだよ。彼らは歩いたり立ち話をしているように見えたが、その中にじっと動かない人が一人だけいてね。その人が男か女かは分からなかったが、その時、お互いに目が合ったような気がしたんだ」

 祖父は昨年死んでしまったが、葬式では、その箱の話はまったく出てこなかった。祖父の娘である私の母にそれとなく尋ねてみても、何の話かピンときていないような反応だったし、母方の親戚も皆、私の質問に妙な顔をするばかりだった。
 後日、遺品整理のために祖父の家で作業をしていると、それらしい箱を見つけてしまった。しかし、その箱は既にガラスが取り外されており、カビのようなものも見当たらなかった。

 それからしばらく過ぎたある日、私の自宅にスーツを着た女性がやってきて、祖父の箱を譲ってほしいと言ってきた。私は、遺品として貰ったものだから無理だと言ったが、女性はその箱がどうしても必要なのだと言って、私に百万円の札束を差し出した。私は、その場で5分ほど腕組みしながら考えたあと、そのお金で一緒に九州旅行へ付き合ってくれるなら譲ってもいいと彼女に提案した。すると彼女もまた5分ほど腕組みしたあと、分かりましたと言って了承した。冗談のつもりで言ったのだが、彼女の真剣な顔を見ていると断るのも悪いし、箱も、もういらない気分になった。

【短編】 マネキン (17/02作)

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 私が人間になったとき、私は淡い水色の、春物のワンピースを着ていました。頭には麦わら帽子をかぶり、腕にはバスケットをぶら下げていたので、まるで春の陽気に誘われてピクニックにでも出かけるような恰好だったでしょう。私は、デパートの婦人服売り場に置かれたマネキンでした。ですので、そのお店にいた人たちはマネキンが急に動き出したと思ったのです。しかしそのときの私はすでに人間になっていたので、正確にいうとマネキンが動き出したわけではありません。私は売り場の店長に挨拶をして、店内で騒動を起こしてしまったことや、もうマネキンとして働けないことを謝りました。季節はまだ冬だったので、外には雪が降っていたのを覚えています。

 私はデパート側の計らいで、婦人服売り場の店員として雇ってもらえることになりました。仕事の様子はいつも見ていたので、仕事を覚えるのにさほど苦労はしませんでしたし、同僚の方たちはとても親切にしてくれました。しかし、売り場に置かれているマネキンたちの視線にはどこか冷たいものがあり、私のことを疎ましく思っているように感じました。もちろん、マネキンに感情があるはずはないのですが、自分も昔はマネキンだったのですから、そう簡単に心を割り切ることもできません。
 結局、私は一年ほど働いたあと、デパートの店員を辞めてしまいました。

 仕事と住む場所を失った私は、あてもなく街を歩いていました。するとある日、ゴミ捨て場に裸のマネキンが横たわっているのが目に入り、私はしばらくその場から動けなくなりました。マネキンは男性の形をしており、仰向けになって空を眺めていました。私はゴミの中から見つけた服をそのマネキンに着せると、彼の体を抱えてその場を去りました。それから歩き疲れて公園のベンチに横になると、私は長い夢を見ました。

 夢の中で、私と彼は結婚し、子どもを作りました。あまり収入は多くなかったけれど、子どもを大学までやって立派に育て上げることができました。やがて子どもも結婚し、孫を抱くことができたのです。
 私は夢から覚めると、海の見える窓辺に座っていました。手を見ると皺だらけになっており、体も少し重く感じました。
「年を取ると皆そうなるのさ」と、傍らに置かれたマネキンの男性が言いました。「でも、君はそれで満足なのだろ?」
 海辺には、麦わら帽子の女の子が歩いていました。今日は、ピクニックにはよい天気です。

【短編】 塔 (17/01作)

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 この街には巨大な塔が立っている。直径が一キロメートル、高さが十キロメートルもあるため近づくと壁にしか見えない。そして普通の塔と違って真っすぐに立っているわけではなく、地面に向かって弓なりにカーブしているため、遠くから眺めると今にも倒れそうに見える。ちょうど糸を垂らした釣り竿のように見えることから『巨人の釣り竿』と呼ばれることもあるが、もともとは空に向かって真っすぐに伸びていたものであり、それが数千年ほど前から傾きはじめて現在の状態に至ったのだという。専門家が構造を調べた結果、毎年ほんの少しずつ地面に向かって傾き続けてはいるものの、あと千年は何の問題もないという結論が出されている。
 とはいえ、塔がいつ倒れるか分からないという不安は街に暮らしている者なら誰でも抱く心理である。そのため、塔が倒れようとしている方向にある(つまり塔が倒れた時に潰されてしまうであろう)細長い形をしたエリアは、誰も好んで住みたいとは思わないため、昔は貧しい者が暮らす地域として知られていた。しかし、戦後の経済成長によって街全体が豊かになったことで問題のエリアに住む者が減ったため、現在ではその跡地に広大な公園が整備されている。
 その公園は、一番迫力のある方向から塔を眺められる場所ということで観光地になっており、私はその公園で観光客を相手にアイスクリーム売りをしている。公園には他にも玩具を売ったりビールを売ったりする者がいて、それぞれに自分の屋台を構えている。私が売っているアイスクリームはどこにでもあるような普通のものだが、特徴を出すために塔の形をまねた大き目のクッキーを突き刺している。そしてアイスクリームを手渡すとき「今日は暑いので、どうか塔が倒れないうちにお召し上がり下さい」という決め台詞を言うことにしているのだが、特に客から反応が返ってくることはない。隣でビール売りをしている女はそんな私の姿を見ながらよく笑っている。
「毎日笑わせてるんだから、たまにはビールでもおごってくれ」と私は言う。
「じゃあ、わたしはアイスクリームが欲しいわ」と女は言う。
 私たちはベンチに座って商品を交換する。
 私がビールを飲むと、女はアイスクリームに突き刺さったクッキーを地面に捨てる。
 クッキーに群がる鳩。
 空を昇る風船。
 私は女の顔にビールをぶちまけたあと、女に長いキスをする。
 きっとそんな日に、塔は倒れる気がするのだ。

プロフィール

Author:euReka(エウレカ)
euRekaと申します。小説や詩を書いています。

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