【短編】 暗闇で君に会いたい (2010/10作)

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 みんなが僕と目を合わさないのは、きっと僕が猫の死体なんかを手にぶら下げているせいだと思う。僕はこの憐れな猫をどこか適当な場所に埋めてやるつもりだったのだが、適当な場所なんて、そう見つかるものじゃない。
「君ちょっと!」
 緊張した顔の警官に、僕は突然呼び止められた。
「ここで何をしてる」
「デートの待ち合わせを」
 警官は緊張を緩めない。
「手に持っているものは何だ」
「アイスクリームにでも見えますか?」
 僕がそう言うと、警官は顔を紅潮させ僕の胸ぐらを掴んだ。
 僕は猫を持っていない方の手で上着のポケットから拳銃を取り出すと、警官のこめかみに銃口を当てた。
「じつは、その相手の女とはずっと昔に別れたきりなんです」
「ああ……」
「でもまた会いたいっていう手紙を彼女からもらって、今日はここで待ち合わせをしてたって訳なんです」
 僕は警官の腰ベルトから、猫を持った方の手で器用に拳銃を抜き取ると、両手を上げる警官にさよならを言った。
「もし彼女が来たら伝えて下さい。やり直すのは、やっぱり無理だと」
 僕は人ごみに紛れこみながら、目に付いた地下鉄の階段を降りていった。地下鉄の構内では、オレンジ色の宇宙服みたいなものを着た人やヘルメットを被った人たちが、何かを叫んだり忙しそうにしていたので、死んだ猫をぶら下げている僕のことを変な目で見たりする人は全然いなかった。
「ここは危険です! 今すぐ地上へ逃げて!」
 僕は自動改札を飛び越え止まっている電車に乗り込んだ。車内には、床に倒れた人や白い泡を吹いている人たちが大勢いた。
「ねえその猫、名前なんていうの?」
 ふいに小さな女の子が僕に近寄ってきた。
「名前は知らないけど……君、大丈夫?」
「うん、大丈夫。その猫、眠ってるの?」
「まあね」
 電車がゆっくり動き出したので、僕は女の子の手を引いて座席に腰を下ろした。
「ねえ、なんかワクワクしない?」と女の子は言いながら、僕の顔を下から見上げるように覗きこんだ。
「君といると、なんだか楽しいよ」
 僕は真っ暗な地下鉄の窓を眺めた。
「あたしがお母さんで、猫はお父さん。あなたは、あたしの子供ね」
 車両の隅で、岩のようにうずくまったエレファントマンが小さく、醜悪に頷いた。
「だからあたしがみんなを守るの。だってあたし、お母さんですもの」
 僕は泣いていたと思う。そして暗闇は無言のまま、バラバラに砕けていく僕たちをじっと見ていた。
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【短編】 おかえり (2010/09作)

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 その不安定な粒子はぐるぐると円を描きながら、造形的に不可能な像を結び始めていた。
「例の土、ありますか?」
 僕は仮にその像の内部領域をP、像を覆う外延をQ、そして任意の観測点をRと呼ぶことにする。
「例の土とはなんだね」
「例の、神がアダムを作ったときの」
 骨董屋の老人は顔を上げ、手に持った虫眼鏡越しに僕を覗き込んだ。
「あんたは誰だ」
「僕は旅人です。遠路はるばるアダムの土を求め旅をしてきました」
 老人は虫眼鏡を番台に置くと、湯飲みを持ち上げ茶をすすった。
「あれは、随分昔に売り切れたよ」
 嘘だ。
「所詮、ただの土くれさ」
 像の内部領域Pが無限大であるのに対し像の外部領域Sが有限であるとき、像の外延Qは無限かそれとも有限かという問いを観測点Rはふと思った。
「ねえお爺さん」
 埃のかぶった骨董品の奥から、黒眼鏡を掛けた若い娘が現れた。
「この人、今晩泊めてあげたら?」
「そうだな。お前がそう言うのだったら」
 黒眼鏡の娘は白い手を差し出すと、まるで花瓶を品定めするような手つきで僕の顔を撫でた。
「フフ、困った顔してる。観測点Rさん」
「君、目が悪いのか?」
「ええ、でも答えを知ってるわ」
「答え?」
 僕は娘に手を引かれながら、今にも崩れそうな骨董品の山の中へ入っていった。
「アダムの土はきっと偽物よ」
「なぜ偽物だと?」
 娘は僕を暗がりの中のソファに座らせると、僕の耳にそっと唇を押しつけた。
「この店にはね、本物なんて一つもないの」
 時間Tは像の内部領域と外部領域において別々の、相対的に逆行しあう時間軸を持っているが、その関係はあくまでも相対的であり、各領域の時間軸が正進か逆進かを判別する手段は無く
「だけど問題の本質はね、二人がこの世界で出会えるかどうかなの。時間Tが有限であれば逆行しあう二つの時間はいつか出会える。でも時間が無限なら、二人は永遠に出会えない」
 僕は娘の黒眼鏡をゆっくり外すと、闇に浮かぶ娘の白い顔にナイフを当てた。
「ところで、アダムはどこにいる?」
「死があり、出会いと別れがあるのはね、この世界が無限ではないという証拠なの」
 でも人はみな一人で生まれ一人で死ぬ。
「あなたは孤独じゃない。ただ今のあなたには、孤独と欲望の区別が出来ないだけ」
 僕はナイフを握り締め、娘の頬を一直線に切り裂いた。
「おかえり」
 虚空を見つめながら、娘は僕の腕を掴む。
「あなたが、アダムよ」

【短編】 沈黙することは賢い、だから僕は沈黙しない (2010/08作)

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 8月の、とある原子野を歩く私。
「ねえ、夏休みの宿題やってる?」
 ヒロシマ・ナガサキの時とは、全く違う思想で作られた新型の原子爆弾らしい。
「夏休みの自由研究さ。この写真を見てごらん。体中の皮膚がむけて、赤くただれてるだろ。彼女は中学生の女の子でね、初めての恋文をまだ渡せずにいるんだ」
 再びメールが届いた。
「相手の男の子は無事だったの?」
「ああ、彼は無事さ。裏山の鉱山で、ウラン鉱石の採掘に動員されていたからね」
「よかった。早く彼女のこと抱き締めてあげて。きっと、すごく怖がってるから」
 私は裏山へ彼を捜しに行った。
「村井Aくん! どこにいますか!」
 赤く燃え盛る街を、無言で見つめる男子生徒たち。
「同じクラスの坂本清子さんから手紙を預かってきたんです!」
「おい! キヨちゃんがどうしたって!」
 私は、駆け寄ってきた村井Aに坂本清子の恋文を渡した。
「どうしてこんなときに」と村井Aは言いながら手紙を開いた。「そんな……、俺、嫌われてると思ってたのに」
 村井Aは読んだ手紙をギュッと握り締めると、鉱山の斜面を転がるように駆けて行った。
「で、そのあと二人はどうなったの?」
 坂本清子は数時間後に息を引き取った。村井Aは被爆の後遺症に苦しみながらも、79年の人生を生きた。
 村井氏は晩年に記した自伝の中でこう述べている。
「幼馴染みだったキヨちゃんの変わり果てた姿を目にしたとき、私は彼女に近寄ることすら出来ませんでした。彼女はもう人間の姿をしていません。まるで地獄の使者か、さもなくば、新しい神か……」
 私の自由研究はすでに5千ページを超えていた。ヒロシマ・ナガサキの原爆と酷似している、この新型爆弾の意味とは何だ?
「坂本清子は普通の女の子よ」
「分かってる」
「この戦争を止めて」
「それは出来ない」

 ♪おもく重なった アキバの空の下 人刺して わが子密室で 餓死させて 毎日の テレビ画面のあちらとこちら
「歌?」
 ♪息とめて 痛み閉じ込めて 死にたくなったら 一人で死ねっていうキモい戦争

「もうやめて下さい」
 坂本清子が私の手をそっと握った。
「手紙、届けてくれてありがとう」
 目の前には、緑の草原がどこまでも広がっている。
「ここは?」
「原子爆弾の故郷です」
 誰もいない草原を、夏風が吹き抜ける。
「彼らを、故郷へ帰します」
「彼ら?」
 メールが届いた。
「P.S. また、学校でね」

【短編】 君が死んだら、世界を殺して僕も死ぬから (2010/07作)

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 ある夏休み、僕は怪物と出会った。
「はあーん、ブふふーん!」
 二億年の眠りから目覚めた怪物のミーちゃんは、肺に溜まったカビを吐き出しながら、死ぬほどまぶしい青空や、水平線を白く支配する入道雲を5万カラットの瞳でキラキラと眺めていた。
「ねえミーちゃん、今から海へ行こうぜ!」
「いいよ、ケンちゃん!」

 海水浴場へ着くなり、僕はTシャツを脱ぎ捨て海へ飛び込んだ。しかしミーちゃんは水際で、ポツンと海を眺めるばかり。
「こわくない、こわくない」
 ミーちゃんは心を決めてプルルと海に入ると、背中の穴から潮を吹き上げた。
「すごい! 虹だ!」
 ミーちゃんは周りの海水浴客を激しく殴打しながら、バタバタと不器用に泳ぎ始めた。水辺にはミーちゃんのバタバタで犠牲になった人々の死体が、プカプカと浮かび上がった。
「ケンちゃん、助けて!」
 僕は急いで軍用ヘリに乗りこむと、劣化ウラン弾をミーちゃんめがけて撃ち込んだ。
「もっと優しくして」
 ミーちゃんはパニックを起こしたのか、逃げ惑う人々をフライドチキンみたいにムシャムシャと食べていた。暴走したミーちゃんは砂浜に上陸すると、そのまま都市を破壊し始めた。
「もう、どこへも戻れなくなる」
 僕は沖合いの巡洋艦に回線を繋ぎ、トマホークミサイルの発射を命じた。しかし、ミーちゃんは攻撃をもろともせず、夏の空に向かって悲しく雄叫びを上げながら、世界貿易センタービルや六本木ヒルズなどを破壊し続けた。
「ねえ、こんど虫採りに行こうよ!」
 僕は空軍を回線で呼び出し、非核兵器の中では最高の破壊力と残虐性を持つバンカーバスターという大量破壊兵器の投下を命じた。
「でも虫って、すぐに死んじゃうでしょ」

 ……事件から200年後、僕は死刑囚専用の独房で死を待っていた。ミーちゃんの暴走を止めるために都市を壊滅させ、無辜の市民を600万人も虐殺してしまったことで国際軍事裁判にかけられた僕は、「平和に対する罪」で死刑判決を受けたのだった。
 ミーちゃんは暴走後、強度の疲労で休眠状態に入り、そのまま地下深くに封印されたのだという。
「あのとき、どうして核ミサイルのボタンを押さなかったの?」
「毎晩、夢の中で押してるよ」

 ある寝苦しい夏の夜、僕は突然目を覚ました。
「君にまた、会いたいな」
 刑務所中のサイレンが狂ったように鳴り響き、独房の壁や天井がバリバリと破壊されていく。
「夢の続きを、始めましょ」

【短編】 できるだけ素っ気なく、でも優しさを忘れずに (2010/06作)

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 寒かった。
 男はピストルを動物に向けながら、私の質問に答えた。
「つまりやつらが、無抵抗だからさ」
 男は動物を撃った。
「生きたければ、抵抗するしかない」
「では、抵抗する手段がない場合は?」
「知らんよ」
 私は自分のピストルを取り出した。
「俺を撃つ気か?」
「ええ」
「撃てよ」
 私は男を撃った。
「意外と痛みはないぜ、でも……」

 私は動物園を出ると路面電車に飛び乗った。
「次の駅は、論理の痛み、論理の痛みと、言葉と詩と恋……」
 向かいの席に腰かけるミニスカートの女子高校生が、太股をあげて足を組み直した。
「えー次は、非論理の快楽、非論理の快楽と、物語と夢と恋……」
 私の隣りに座っていた中学生の男子は、携帯電話のカメラで女子高校生の太股を撮っている。
「えー携帯電話のご使用は、適切に、適切に」
 女子高校生は中学生の視線に気付くと、はだけたミニスカートをさっと直した。
「えー続きまして、音楽広場、音楽広場でございます」
 私は壁のボタンをピンポンパン♪と鳴らした。
「ああそっか!」
 私は気付いた。
「論理的な人間存在の一つの帰結としての恋とは生命存在の中へ閉じ込められる永遠に対する抵抗である!」
 私は女子高校生と中学生の手を引っ張って、ピンポンポンと電車を降りた。
「もおっ! なにすんのよ!」
「つまりセックスとは生命に対する挑戦なんです!」
「ぜんぜん、意味わかんないんだけど!」

 広場へ入って行くと、陽気なバイオリン弾きが私たちをエスコートした。
「人殺しと生徒たち、そろってご来場でーす!」
 広場に集う人々から拍手と歓声が上がった。
「よっ、待ってました!」
「好きよ! あたしも殺して!」
 群衆の中から、一人の男が私に声をかけた。
「よう、また会ったな」
 あの動物殺しの男だ。
「やっぱり、あのままでは死にきれなくてね」
 男は一本の指揮棒を私に投げた。
「早く舞台に上がれよ。皆お待ちかねだぜ」
 群衆は二つに分かれて道を作り、私たちを舞台へ誘った。
「さてさて、指揮者の殺人ナルシストさんが到着しましたよ!」
 マイクを持った司会者が、待ち構えていたように喋りはじめた。
「高校生と中学生は素敵な歌を、そして演奏は25世紀交響楽団でお届けします」
 指揮棒の先端に止まった砂粒ほどの虫が、透明な羽を天に向け広げた。
「曲は交響詩《できるだけ素っ気なく、でも優しさを忘れずに》どうぞ!」

【短編】 脱走 (2010/05作)

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 123回目の自殺だった。俺は、点滴の針を抜いて機関銃を構えた。引金を引くと病室中が穴だらけになった。俺は壊れた窓ガラスに向かって助走し、地上456階の病室から朝の光の中へ飛びこんだ……
「何回やっても同じことよ」
 眼帯をした女の子は月曜日のバナナを頬張りながら、ベッドに横たわる俺を見下ろしていた。
「あなたも食べる?」
 女の子は、包帯の巻かれた俺の手に火曜日のバナナを握らせた。
「じゃあ君は何回自殺したんだ」
「この間、医師とかナースの前で78回目のピストル自殺をしたわ。でもあいつら、顔色一つ変えなかった」
 病室の窓からは、飛行機や、渡り鳥や、水曜日の無力感なんかがゆっくりと移動しているのが見える。
「あたし、ずっと考えていたことがあるの」
 眼帯の女の子は、病室のカーテンにぎゅっとくるまりながら俺を見た。
「でも、すごくヘンテコなの」
「教えろよ」
 女の子はカーテンの中から、印籠を見せるような感じでバナナを出した。
「ここから、脱走する方法よ」

 俺たちは出来る限りの準備を整えると病棟の出口へ向かった。途中で、守衛の男に声をかけられた。
「お前ら、ずいぶん楽しそうだな」
 眼帯の女の子は、木曜日のバナナと金曜日のバナナをモミアゲ風に、俺は土曜日のバナナをチョンマゲ風に頭にくくりつけていた。
「あたしたち、脱走するの」
「なんだって?」
 話はすぐに伝わり、出口のまわりに医師や守衛たちが集まってきた。
「いったい何のつもりだ」と一人の医師が俺たちに問いただした。
 俺は手に持った日曜日のバナナに、ライターの火を近付けた。
「よせ!」
 医師の顔はみるみる歪んでいく。
「君たちは病気なんだぞ!」
「あんたもな」
 出口のロックが解除され、俺たちは口笛を吹きながら病棟を抜けだした。9歩だけ呑気に歩いたあと、お互いに顔を見合わせて走り出した。
「ねえ、追いかけてくるよ!」
 俺たちは、モミアゲバナナやチョンマゲバナナを投げてやつらを遠ざけた。そしてエレベーターに飛び乗ると、俺は最後のバナナに火を点けて外に放り投げた。
「伏せろ!」
 急降下するエレベーターの中で、俺たちは乾いた空のような爆発音を聞いた。
「君、生きてるか?」
「うん。でも生きてるって、どんな気分なの?」
「さあな」
 俺は今朝の自殺を思い出した。
「なんかさ」女の子は、はねた髪の毛を指先でつまんだ。「すごくヘンテコな気分だね。生きてるって」

【短編】 化石 (2010/04作)

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 詩の朗読みたいに聞こえた。
「あなたの恋人と思われる化石が、二万年前の地層から発見されました」
 電話の相手は確かにそう言っていた。
「身元確認のために、ぜひ現地までお越し願えないかと」

 僕はさっそく会社に休みを取った。事情はなんとか理解してもらえたが、有給扱いにはしてもらえなかった。

「彼女の顔なんてもう思い出せないよ。わざわざ僕が現地まで行かなくても」
「皆さんそうおっしゃいます。あまりにも長い時間が経過した、不安だとね。でも実際に会ってみると、嘘みたいに記憶が蘇るという例も少なくありません」

 僕は数日後、国際線の飛行機に乗った。初めての外国旅行だった。
「今から恋人に会いに行くんだ。気が遠くなるほど古い恋人にね」
 客室乗務員の女は、浅黒くて唇の厚い南方系の顔立ちをしていた。
「チキンとお魚、どちらになさいますか?」
「ビールを一つ。飛行機ってなかなか慣れないよ」
 南方系の女は何か言いたげに唇を開いた。しかし何を思ったのか両手でそっと僕の顔に触れると、母親が子供にするような格好で僕の鼻にキスをした。

「古い記憶というのは化石と同じで表面からは見えません。長い記憶の歴史から見れば人間はみな記憶喪失だと言えます」
「記憶喪失?」
「ええ。世界の記憶は、一つも失われることなく全て保存されています。私たちの活動の目的は、失われた世界の記憶と繋がるためのラインを構築することにあります」

 僕は機内でビールを飲みながら、空港で買った現地の地図を広げた。その地図は、子供の頃に描いた空想の地図によく似ていた。

「化石の発掘は単なる記憶の収集ではありません。世界の記憶は人類の言語機能と繋がることで覚醒し、この世界の本当の意味を、世界自身の言葉によって現実化するのです」
「言ってることはよく分からないけど、協力はするよ」
「ありがとうございます」
「でも彼女は、僕のことを憶えているかな?」
「皆さんそうおっしゃいます」
「だけど僕は、彼女に会ったことすらないんだぞ」
「でも記憶の残像はある。一瞬だけ、心臓を掴まれたような」
「そうだ」
「お二人は確実に出会っています。記憶の中で」

 機内放送が流れ、飛行機は着陸態勢に入った。僕は夢のように広げた地図を小さく折り畳んでポケットへしまった。
「やっぱり気付かなかったのね」
 あの南方系の女が、首に巻いたスカーフをほどいて僕の隣に座った。
「でも、やっと会えた」

【短編】 あのとき (2010/03作)

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 雪の結晶みたいな形だった。手に取ると空気みたいに重さを感じないのに、強く握るとそれは岩のように硬い。眺めるのにも飽きて軽く空に放り投げたら、それは風に乗ってふわふわ飛んだ。なんだか面白いので、僕はそれをたくさん拾って、たくさん空に投げた。
「まるで生きてるみたいね」と彼女は、空に舞う物体を眺めながら言った。「でも、いつか力を失って落ちる。すべてのものがそうなの」
 君はきっと神様を信じないタイプだなと僕が言うと、彼女は何かを思い出したように微笑した。
「そうでもないわ。きっとわたし弱い人間よ」
 空に投げた物体は、風の力を受け少しずつ空を昇って行った。それに形も雪の結晶みたいなものから、だんだん細長くて、だらしない棒のようなものへと変化していくのだった。まるで捨てられたゴムひもみたいな、あるいは、どうにもやるせない日曜の午後みたいな。
「今日は特別に退屈ね」
 彼女は上着のポケットに両手をつっこむと軽くうつむいてみせた。
「キスして」
 僕は雪の結晶を空へ放り続けた。そこら中にいくらでも転がっているのだ。
「ねえ、キスして」
 君も投げてごらんよと、僕はそっぽを向いて言った。
「下らないわ……そんなもの」
 僕は大袈裟に溜め息をつきながら彼女を抱き寄せると、死んだ魚の腹みたいな彼女の白いひたいに、長い長いキスをした……。

「ほんとはね」
 あるとき彼女と、こんな話をしたっけ。
「死にたいと思ってたの」
 僕は隣で、彼女の髪に顔をうずめていた。
「ねえ、どんな匂いがする?」
「君の匂いがする。まるで君に抱き締められてるような感じさ」
「わたし生まれる前から、ずっとあなたのこと抱き締めていた気がするの。それ知ってた?」
「知らなかったよ」
「馬鹿ね」
 僕はふと思い出した。
「ずっと昔、悲しくて一緒に泣いたことがあったよね」
「ええ」
「あのとき、何がそんなに悲しかったんだろう?」

 長いキスをやめ頭をあげると、高い空の上に巨大な模様が浮かんでいた。一つ一つの物体が鎖のように繋がりあって、地上を覆う重力の支配に戦いを挑んでいる。
「あのとき、悲しいことなんて何もなかったわ」と彼女は横顔で言った。「ほんとは何も、恐れるものなんてなかったのよ」
 でも恐いんだ。
「息をするたび、大切なものを一つ一つ奪われてる」
 彼女は雪の結晶を一つ拾い上げると、ひどく不器用な動作で空へ放り投げた。
「わたし、赤ちゃんができたの」

【短編】 小さな塊 (2010/02作)

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 赤ん坊がうまれた。私の赤ちゃん。まだ名前もない、目も見えない、小さな塊。ここはどこかって? ここは世界の始まり。すべてのものに、始まりがあるの。
「ねえ、はじまりってなあに?」
 始まりはね、あるものが別のものに変わる瞬間のこと。
「じゃあ、かわるってなあに?」
 変わるっていうのはね、あるものが、それまで持っていなかった何かを手に入れること。
「それじゃあ、なにかってなあに?」
 何かっていうのはね、それとは決められないけど確かにあるってこと。
「なんだかねむたくなっちゃった」
 いいのよ。眠りなさい。
「ところで、あなたはだあれ?」
 私は君の母さんよ。
「ふうん、かあさんか。おぼえとくよ。おやすみ」
 おやすみ。
 私の赤ちゃんが、小さな目を閉じて眠ってる。耳を澄ますと、蟻のささやきみたいな寝息がきこえる。私の赤ちゃん。ずっと眺めていたい。ずっとそばにいたい。ずっと……。
「ねえ、かあさん」
 はい。
「ぼくはこれから、どうなるんだろう?」
 そんなこと、心配しなくていいわ。きっと母さんが守ってあげるから。今はぐっすり眠りなさい。
「だってはじまりがあるなら、そのさきもあるんでしょ?」
 ええそうよ。だけど、まだ知らなくていいわ。だって君は、まだ始まったばかりですもの。
「だけどね、かあさん。さきのことをかんがえると、なんだかねむれないんだよ」
 ああ神様、この子は何でも知りたがります。私はもう何も教えたくありません。私から遠ざかっていくようで。
「ねえ、だれとはなしてるの?」
 誰でもないわ。
「ねえ、はじまりのさきにはなにがあるの?」
 始まりのさきにはね、かならず終わりがあるの。
「おわり? おわりってなんのこと?」
 もう、会えなくなることよ。
「あえなくなる?」
 もう二度と、話したり、触れたりできなくなること。
「いやだよ、そんなの。こわいよ。こわいよ……」
 私の、私の赤ちゃん。ごめんなさい。うんでしまって、ごめんなさい。でも会いたかったの。一目でいいから君に会いたかった。触れたかった。
「でもやっぱりこわい。さむい……」
 私の赤ちゃん。この世界はどうしようもなく寒いの。みんなこの寒さに耐えきれず、枯れ葉のように死んでいった。この世に一人残された、私の最後の望みが君だったの。でも君をうんだことは、きっと間違いだったのよ。
「ねえ、かあさん」
 はい。
「あのね」
 ええ。
「うんこしたい」

【短編】 戦場で (2010/01作)

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 神様が泣いていた。まだ子供だった。私は辺りに散乱したデタラメな残骸に足を取られながら、幼い姿の神様に近付いた。さまざまな大きさのコンクリート塊やガラス片、むき出しの鉄筋や水道管、壊れた時計、イス、ぬいぐるみ、スプーン、聖書……。私の姿に気付いた神様は、大切なオモチャをなくした子供みたいにベソをかきながら小さな手を差し出した。
「あのね」神様は私に言った。「君は僕の母さんなの?」
 私は神様の手を握り、たぶん違うわと神様に言った。
「僕の母さんでないなら、君はいったい誰なんだい?」

 私は幼い神様の手を引きながら、瓦礫に埋もれた灰色の街を歩いた。ときおり空から遠い雷鳴のような音が響き、黒い影のような飛行機が私達の頭上を飛んで行った。
「今日は五つも見たよ」神様は飛行機を指差しながら言った。「あいつ、どこへ飛んで行くんだろう……。自分のお家へ帰るのかな」
 飛行機の姿が見えなくなると私達はふたたび歩き出した。
「あのね、僕ね、きのう夢の中で死んだよ。それからね、鳥の国へ飛んで行ったよ。あのね、死んだらね、みんな飛べるんだって」

 瓦礫の道をしばらく進むと、行くあてのない人々の群が目に入ってきた。でもその半分は、死んで動かなくなった人達だった。
「あの、ちょっと……」地面に横たわっていた男が、ふいに私の足首を掴んだ。「俺、もう死んでるのかな?」
 私は、よく分からないのゴメンなさいと言って、死んだ男の手を自分の足首からはがした。
「あんた、俺の恋人に似てるんだよ。だから何かを知っているかと思ったのさ。驚かせて悪かったな……」
 死んだ男はそれ以上何も言わなかった。
 私が男の相手をしている間、神様は私の手を離れ、近くにいた女の子と話をしていた。女の子は赤い服を着ているように見えたが、近寄ってみると、その女の子は全身が血まみれだった。
 女の子は、私に気付くと親しげに微笑した。
「さようなら」女の子は血まみれの姿で私にそう挨拶した。「でもね、別れるときはコンニチワなの。だって悲しいでしょ。サヨナラなんて」
 私は女の子を抱き締めた。
「あったかい……。ずっとこうしていたいな。ねえ子守歌うたって。あたしねむたくなっちゃった。ねえずっとあたしのそばにいて。ずっと……」
 空からまた、遠い雷鳴が聞こえた。黒い影が頭上に迫っていた。
「さよなら……」
「もうどこへも行かないで」
「違うの。もう一度会いに行くの。あなたに」

プロフィール

Author:euReka(エウレカ)
euRekaと申します。小説や詩を書いています。

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