【短編】 ドア (16/12作)

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 私は井戸に落ちた。
 しかし何秒たっても底に衝突しなかったので、ずいぶん深い井戸なのだろうと考えながら落ちた。そして私はもう人間じゃなく、ただの落下物なのだと考えることにしたところでポケットの中の携帯電話が鳴った。手探りで携帯電話をつかみ、風圧で定まらない指で通話ボタンを押して、やっとのことで耳に当てると女性の声が聞こえた。
「ササキさんの電話ですか?」
「いいえ、私はサトウです」
 電話の女性は、間違い電話だと分かると丁寧にお詫びを言って電話を切った。私はそのまま携帯電話を放り出そうかと思ったが、また電話が鳴っているのに気付いたので再び電話に出た。
「さっきは間違い電話だったけど、今度はあなたに伝えたいことがあるの」と電話の向こうにいる女性は言った。「あなたが今落ちているのは井戸じゃない。だから底にたどり着くことはないわ」
 ササキさんのほうの用事はいいのかと聞くと、今はササキさんよりサトウさんのほうが大変そうだからと彼女は言った。
「まずは目を閉じて、わたしの声に集中して」
 私は目を閉じた。
「次は、陽だまりで気持ちよく眠っている猫を想像して」
 想像した。
「猫を優しくなでてあげると、あくびをして起きるわ。そして猫が挨拶をして歩き出したら、あなたはそれについていくの」
 猫の後をついていくと、素っ気無い灰色のドアがある場所にたどり着いた。電話に話しかけてみたが、もう女性の声は聞こえなかった。

 ドアの向こうには部屋があり、一人の子どもがソファに座っていた。子どもはドアから入ってきた猫を抱き上げると、笑顔で私に挨拶をした。電話の女性のことを子どもに質問すると、子どもは一枚の写真を私に見せた。
「その人はもうずいぶん前に死んだわ。サトウさんがドアを探してる間にね」
 じゃあ君は誰なんだと質問すると、子どもはその女性の孫だと答えた。
「おばあちゃんはサトウさんがちゃんとドアを見つけられるか心配してたわ。だって猫はきまぐれだから、きちんと案内できるかしらって」

 私は、ほかに行くあてもなかったので子どもと一緒に暮らすことになった。子どもの提案で、私は父親になり、子どもは娘になることにした。それから一年ほどすると、例のササキさんがドアから現れたので、ササキさんはそのまま子どもの母親になった。
 次は誰がドアから現れるんだろうと子どもに聞くと、それは秘密よと言ってはぐらかされた。猫もニャアと鳴くだけだ。
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【短編】 草むら (16/11作)

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 私は小さなお菓子の箱に押し込まれ、砂場に埋められた。
 しばらくは子どもたちの声が聞こえていたが、そのうち誰の声も聞こえなくなった。私は虫であるから、人間のように絶望することはなかったし、子どもを恨む気持ちもなかった。しかし箱の中でひたすらもがいたせいで疲れ果て、私はそのまま死んだように眠ってしまった。夢は見なかったと思う。
 そして、目が覚めると私は暖かい布団の中にいた。
 私は洗面台で歯をみがき、服を着替え、朝食を食べてランドセルを背負った。
 放課後に砂場へ行き、小高くなった場所を掘り返すと小さな箱が出てきた。
 自分で自分を助けるのは変な気分だったが、箱から虫を出してやると、そいつはしばらく箱の周りをうろうろしたあと、触覚をぴんと立てて草むらへ跳ねていった。

 その後、私は人間として生きていった。
 そして大人になったあるとき、親しくなった女性に、自分が昔虫であった話をした。私たちは夜の公園でベンチに座りながら、月を眺めていた。
「実はね、わたしにも秘密があるの」と彼女は言った。「わたしは、今から400年後の未来から来た人間なの。でも、時間の海で嵐に遭って、この時代に遭難してしまったの」
 私は、静かに彼女の話を聞いた。
「あれからもう5年が過ぎたけど、仲間とは連絡が取れないし、未来へ帰る方法もわからない」
 彼女の部屋へ行くと、ラグビーボールを一回り大きくしたような形の装置が置いてあった。彼女が操作するとラグビーボールのランプが点滅し、数秒後にフタが開いた。その中には一万円札が入っていたのだが、彼女は続けて操作し、免許証やパスポートを作ってみせた。
「お金は5年間暮らせる分しか作れない設定になっているの。際限なくお金を生み出してしまったら、その時代や未来に変な影響を与えてしまうかもしれないでしょ」

 私と彼女は3年間同棲したが、未来の仲間が助けに現れたため、彼女はそのまま400年後の世界へと帰ってしまった。去り際に彼女は一通の封筒を差し出し、これから起こる未来のことを書いておいたから気が向いたら読んでねと私に言った。
 彼女が去ってから数日過ぎたある朝、私は草むらの中で目を覚ました。後ろ脚で地面を跳ねながら草むらを抜けると、自分の家が見えてきた。窓から中を覗くと、手紙を読んでいる自分の姿が見えた。
 うまく背後に回り込めば手紙を読めるかもしれないが、虫に未来は関係ないなと私は思った。

【短編】 山脈 (16/10作)

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 私はある惑星に捨てられた。
 黒い空に仲間の宇宙船が消えていくのを見送ったあと、私は宇宙服を着たまま歩きはじめた。これは、私が仲間の一人を殺してしまったことに対する罰であり、私はその罰を素直に受けようと思った。
 惑星には地面のほかには何もなかったが、遠くに山脈が見えたので、私はそれを目標にして歩くことにした。

 私は光の差す昼になると歩きはじめ、夜になると眠った。惑星には大気が存在しないせいで、昼間でも空は真っ黒だった。宇宙服の酸素はとっくになくなっていたが、息が苦しくなることはなかった。もしかしたら自分はもう死んでいるのかもしれないし、あるいは夢を見ているだけかもしれない――もし夢であるなら、本当の自分はどこにいるのか――本当の自分は今、幸せなのか――などということをヘルメットの中で考えているうちに、百回ほど昼と夜が繰り返され、遠くに見えていた山脈の頂上まで辿り着くことができた。頂上から眺める空は青く、山脈の向こうには緑の森が広がっていた。そしてその先には、灰色の大きな街が見えた。

 私は山脈を下り、最初に目にした民家の玄関を叩いた。すると老婆が現れて、お茶でも飲んでいきなさいと言うので家に上がった。私は宇宙服を着たまま畳の上に腰を下ろし、ずっと被っていたヘルメットを脱いだ。テーブルの上に煙草が置いてあったので、一本口にくわえて火を点けた。しばらくすると、お盆を持った娘が現れ、私の目の前にお茶を置いた。お婆さんはどうしたのかと娘に尋ねると、お婆さんはもう死んだわよと言って、娘は仏壇のほうを見た。
「そんなことより、今日は買い物に連れてってくれる約束だったでしょ。あなたも早く支度してよ」

 私は娘と車に乗って街へ出かけた。デパートは家族連れやカップルで賑わっていたので、きっと今日は日曜か祝日なのだろうと思った。娘は私を水着売り場へ連れて行き、水着を試着してポーズをとりながら、似合うかどうかを私に尋ねた。よく分からないと私が言うと、娘は頬をふくらませてカーテンを閉めた。

 それから秋になって娘と結婚すると、一年後に息子が生まれた。息子は中学生になると、ガールフレンドをよく家へ連れてくるようになった。
 そしてある時、息子のガールフレンドが突然私の耳元で囁いた。
「あなたはもう死んでいるのよ」と。
 私は彼女を抱きしめ、教えてくれてありがとうと言った。息子はその様子を黙って眺めていた。

【短編】 クマモト地震 (16/09作)

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 最初の地震を起こしたのはクミで、二日後の地震を起こしたのはミクです。
 最初の地震が起こるまえ、クミとミクはお母さんのお腹の中にいました。でも、自分たちのことを「クミ」と「ミク」という、二人の、別々の子どもではなく、まだ名前もない一人の子どもだと思っていました。なにしろお腹の中には、「あなたたちはふたごですよ」と教えてくれるひとがいるわけではないのですから、自分たちのことを一人だと勘違いしても無理はありません。背中に虫がとまっていることや、地球が回っていることだって、ほかの誰かに教えてもらわないと分からないでしょう。

「クミは生まれたくなかったの、だから地震を起こしたの」とクミは言います。
「ミクはクミに会いたかったの、だから地震を起こしたの」とミクは言います。

 クミはお母さんのお腹の中から押し出されるとき、もう一人の自分を見ました。自分はお腹の中にちゃんといるのだから、狭い穴の中をぎゅうぎゅう進んでいる自分は夢の中の自分なのだろうと。そして夢が終われば、暗いお腹の中でまた眠れるのだろうと思っていました。
 しかし夢が終わった場所は、ずいぶん騒々しくて、ひとが沢山いました。
 ここはどこなの、とクミがたずねると、腰に手を当てながらタバコを吸っている女が振り向いて、ここはクマモトさと答えました。
「あなたは私のお母さんなの?」
「違うよ。あたしはクマモトの看護師さ。でもさっきの地震で病院壊れちゃったからな」
「ねえ、ここは夢の中なの? 私は、あの場所にまた帰れるの?」
「ここはクマモト。あんたの名前はクミ。帰るのは無理」

 一方のミクは、もう一人の自分が穴から出ていったとき、お母さんのお腹の中にいる自分は誰なのだろうと思いました。お母さんにそのことをたずねても、フフフと笑って返すばかり。
 もしかしたら、穴から出ていった自分が本当の自分で、お腹の中にいる自分は嘘の自分かもしれない。きっと穴の向こうへ行けば、そのことを確かめることができるだろう。でも本当のことが分かった瞬間に、嘘の自分は消えてしまうかもしれない……。
 そんな恐ろしいこと考えていると、穴の向こうから声が聞こえました。
「おーい、ミクー。そこにはもういられないよー」
「あなたはだーれー」
「私はクミで、あなたはミクなのー」
 穴の向こうから白い光が見えます。
「ここは夢じゃなくてクマモトよー。寒くて酷いところだから早く会いにきてよー!」

【短編】 錯覚 (16/08作)

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 黄色い服のひとが、夏の庭を横切っていった。
 そのひとは満足そうに太っていて、腰の部分を古代人の服のようにヒモで結んでいた。
 隣でうちわを揺らしている母にそのことを伝えると、母は外をすこし眺めたあと、私の小さな頭をなでながら、それはきっと目のサンカクですねと私に言った。お庭は塀に囲まれてとても狭いのですから、誰か知らないひとが歩いているはずはありません。きっとお庭に入ってきたお日様が、その黄色いひとに見えたのでしょうと。
 私は庭に出てあちこちを確認したが、蝉のぬけがらくらいしかみつけられなかった。そして部屋の鏡を見ると、私の目はもうサンカクではなかった。

 私はその夜、夢の中でふたたび黄色い服のひとを見た。黄色い服のひとは沢山ひとがいる遊園地の中を歩いていて、乗り物に乗るわけでもなく、ただ何かを探すように人ごみの中を進んでいた。
 私は黄色い服のひとを追いかけているうちに迷子になってしまったが、不思議と不安はなく、このまま一人ぼっちでも生きていけるような気分になっていた。母はきっと悲しむと思うが、一人ぼっちで生きていくことを決めてしまえば、それはもう迷子ではないのだ。待っているひとや帰る場所があるから、人はそれを見失って迷子になってしまうのだと。
 私がそんなことを考えているうちに、黄色い服のひとは風船を腰ヒモに結びつけ、夏の高い空へ昇っていった。
 黄色い服のひとはきっと迷子なのだろうと、私は思った。

 そしてある時、私は街なかで、眼鏡のレンズが逆三角形になっているひとに声をかけられた。
「お久しぶりですね」とそのひとは言った。「大人になっても、あなたは、やはりあなただった。そのことが僕はうれしいんです。もしそのひとに会ったとき、そのひとが違う人になっていたら、それはとても寂しいことでしょ?」
 私は、探し物はみつかりましたかとそのひとにたずねた。
「まだみつかっていませんが、他にみつけたものがあります。迷子のあなたを今みつけましたよ」
 そのひとはそう言うと、逆三角形の眼鏡をはずして私の胸ポケットに差しこみ、手を振りながらどこかへ歩いていった。私は「目のサンカク」を思い出してあわてて眼鏡を掛けたが、そのひとはもう、始めからいなかった人物のように姿を消していた。そのひとはもう、太っていなかったし黄色い服も着ていなかったが、会った瞬間、私は夏という季節が確かにあったことを思い出した。

【短編】 仕事 (16/07作)

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 がるがるがるーは夏を知りませんが、春に生まれた子どもや秋に死んだ猫のことは知っています。空を飛べる動物が忘れた頃にやって来て、がるがるがるーにいろんなことを教えてくれるのです。
「この家に来ると、俺はいつも歓迎されてない気がするね」と空を飛べる動物は言いました。
「気のせいよ」とがるがるがるーは言葉を返しながら、ついさっき動物が入ってきた窓を閉めました。「きっと寒さのせいで、楽しいことを思い出せないだけ」
 部屋の温度計はマイナス273℃を指しています。この温度になると世界が完全に動きを止めてしまうのですが、その温度が上がらないように冬の家を守るのががるがるがるーの仕事なのです。
「じつは君に夏の手紙をあずかっていてね」と空を飛べる動物は言いながら、手紙を差し出しました。「夏の物をうっかり冬の家に持ってくるのは危険だけど、1万年かけて凍らせてきたからね」
 がるがるがるーは湯気の立つコーヒーをテーブルに置くと、胸に手をあてて呼吸を整えました。

「はじめまして。わたし夏子です。
 でも、わたしは夏が嫌いです。
 でも、夏しか知らないから、それが嫌いかどうかなんてほんとうはわからないことです。
 だから、もしあなたのことをいろいろ知ることができたら、夏のことや自分のことも違うふうに思えるかもしれません。
 だから、思い切ってあなたに手紙を書くことにしました。

 ところであなたは、わたしと同じ女の子なんですってね!
 わたしとはまるで逆の冬の家に棲んでいることや、世界を凍らせるための温度を守っていることも動物にききました。
 きのう夢の中で会ったあなたは、とても物静かで、きれいな金色の髪をしていましたね。
 春に生まれた子どもや、秋に死んだ猫も一緒でした。
 わたしたちは夢の中でいろんなことを話したのよ。
 季節と温度を守る理由とか、嘘と秘密の違いとか。
 でも目が覚めると、氷が溶けたあとみたいに話が思い出せないの。一番知りたかった、あなたの顔もね。

 夢の中じゃなくてほんとうに会えたら、あなたの顔を10万年くらいじっくり眺めるつもり。
 でもこの手紙を書いてるとね、テーブルの向かいにあなたが座っているような気分になるの。
 あなたは温かいコーヒーを飲みながらわたしの手紙を読んでいる。そして空を飛べる動物は疲れて眠ってるの。
 夏の家の温度はいま250万℃です。そして世界を燃やし尽くす温度を守るのが私の仕事。」

【短編】 巨人 (16/06作)

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 ニャーとさえ鳴けばよい、という情報だった。
 私はそのとき、広場に現れた一本の市民の列に並んでいた。
 ニャーと鳴く仕組みの入った縫いぐるみを一つ抱えながら。
「ほら、アリさんが行進してるよ」と少女は、私の足元を差して言った。「ぜったい踏まないでね、巨人さん」
 つまり巨人とは私のことであるが、縫いぐるみを抱えたり、黙って列に並んでいる巨人なんて聞いたことがない。
「だけど、巨人が何したって自由でしょ。うたを歌ったり、おしゃれをする子だっているはずよ。……人間をふむのは駄目だけど」

 市民の列は、見えない障害物を避けるように大きく歪んでいた。時間が経てば列の歪みも変わっていくのか、それとも見えない障害物はその場所からずっと動かないのか。
「ねえ巨人さん」と少女は質問した。「どうしてみんな不幸な顔してるの? 鏡で自分の顔をみたら、きっと死にたくなるわ」
 今はうたを歌うことも、おしゃれをすることも忘れてしまったのさ。みんな帰る家がないのだ。
「ふーん、ところでその猫、なまえ何ていうの?」
「ぼくは猫じゃなくて熊だぞ!」と縫いぐるみは喋った。「ニャーでも、ワンでも、ガウーでも鳴ける、自由な熊なのさ」

 そんな会話の最中、空から大きなヘリコプターが降りてきて激しい土ぼこりを巻き上げた。市民が列から離れまいと爆風に耐えていると、ドレスやスーツ姿の一団がヘリの中から現れた。
「本当はね」と縫いぐるみは言った。「ニャーと鳴く必要なんてないんだよ。みんな、本当はそのことを知ってる」
 ドレスやスーツの一団が静かに合唱を始めると、列に並ぶ市民はそれぞれの表情を浮かべながら沈黙した。
 私は、そのお喋りな縫いぐるみを少女に渡して列を離れた。
「ねえ巨人さんてばっ!」と叫ぶ少女の声が広場の合唱に埋もれながら響いた。「この子泣いてるよ! 生意気だけど、まだ子どもなのよ!」

 それから20年後、遠くの街で少女と再会した。
 彼女の顔はすっかり忘れていたが、何度も「巨人さん」と呼ばれているうちにやっと思い出すことができた。
「縫いぐるみはね、しばらくすると喋らなくなったの。電池交換をしても駄目だったから、あたし広場へ行ってあなたを捜した。でもあなたは二度と戻らなかった」
 彼女の話では、あの見えない障害物は今でも動かないままだという。
「巨人はね、自由だけど歌うことを知らなかったの。でもそれは、本当の自由ではないような気がして」

【短編】 反論 (16/04作)

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 時間虫は、時間を食べます。
 アリクイがアリを食べるように、時間虫は時間を食べるのです。
 時間虫がまだ何も食べることを知らない虫だったとき、時間と、みかんと、警官のどれかを選べとその人に言われました。何も食べないということは、この世界に存在しないことと同じなので、どうしても選んで食べろとその人は言うのです。
 その人というのは神様のことですが、もし警官を選んでいたら警官を食べなければならないわけですから、ずいぶん無茶な話なのです。しかし、警官が増えて街中にあふれてしまったらきっとみんな息が詰まってしまいますし、警官が増えたからといって街が平和になるわけでもないでしょう。むしろ数が増えすぎたせいでやる仕事がなくなった警官たちが、本来の目的や使命感を失って犯罪に走らないとも限りません。みんなから邪魔にされ、おまけに目的や使命感まで失ってしまったら誰だって絶望してしまいます。ですので増えすぎないようにそれを食べなければならないという言う理屈は分かるのですが、時間虫はまだ何も食べることを知らない虫だったので、いったいどれを選べばいいのか分からないのです。

「じゃあみかんにしろ」と、その人は言いました。
 でも、みかんは他に食べる人がいるじゃないですかと時間虫は反論しました。
「むむ、じゃあ警官にしろ」
 でも、警官に採用する人数を制限すればいいじゃないですか。
「むむむ、じゃあ時間を食え。時間は誰かが食べるしかないのだぞ」
 でも、でも。
「さあ、おいしいから一口食べてごらん」

 時間虫が最初に食べたのはスプーン1杯の時間でした。これで百年分です。
 ボトル1本が1万年分で、タンクにはそのボトルを1万本集めた量が入っています。さらにそのタンクは、コンクリートで整地された広大な敷地に1万基ならんでいます。
 時間虫の目には、その景色が巨人の墓場のように見えました。しかしタンクの表面には何も書かれていないので、きっとお墓参りにきた人は目当ての墓を見つけられないでしょう。そんなことを考えていたら、時間虫は悲しくなりました。

「それでも愛はあったんだよ」と、死に絶えた巨人は言います。
 でも、愛と言えば何でも許されるのですかと時間虫は反論します。
「われわれはこんな悲しいものしか残せなかったけど、そこに愛があったことは嘘じゃない」
 でも、僕はそれを食べなきゃならないんです。
 あなたたちの愛なんて、うんざりだ。

【短編】 人間 (16/01作)

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 君はこの森にすんでいるのかと質問すると、その女の子は自慢げにくるりと地面を回って僕に微笑んだ。
「ところで君は人間なのか?」
「いいえ、人間ではないわね」
 じゃあ君はいったい何なのだと質問しようと思ったが、答えを聞くのが怖くなったので言葉を飲み込んだ。
「でもあなたは、きっと人間なのね」

 女の子は僕の手を引きながら、風のような速さで森の中を進んでいった。彼女は、僕を人間が沢山いる場所に案内してくれるという。僕はどうしても人間に会いたかったけれど、昔話の中ではこういう誘い文句が一番危険なのであり、簡単に相手の話に同意してはいけなかったのだということを思い出していた。
「ここよ」と言って女の子が立ち止まった場所にはもう森はなく、灰色に壊れた街と青空がどこまでも広がっていた。街の中を進んでいくと、道端に無数の人骨が白く転がっている。
「ほらね、たくさん人間がいるでしょ?」と女の子は言った。
 僕は、ああそうだなと返事をしてその場に座り込んだ。
 すると彼女は「なに怒ってるの?」と言いながら、僕の頭を撫でた。

 さらに街の奥へ進んでいくと、真新しい建物の群れが見えてきた。灰色の街に新しい都市が生まれたのだ。女の子は行かないほうがいいわと言ったが、僕にはそこに希望があるような気がしたのだ。
 その新しい都市の中では無数の人々や車が忙しく動き回っているのだが、彼らは人間ではないと女の子は言った。
「ほら、よく見ると誰も影がないでしょ。私も同じよ」と。

 僕と女の子は、ひとまずその新しい都市に部屋を借りてすむことにした。僕は外で働いて生活費を稼ぎながら彼女と生活を築いていった。そして数年経つと彼女が妊娠してお腹が大きくなっていったので、僕らはそのまま結婚することにした。
「僕は今とても幸せだけど、君はどうだい?」と質問すると、彼女は大きなお腹を撫でながら笑った。
 しかし、新しい都市が戦争を始めたのはちょうどその頃だった。僕たちがすんでいる街には毎日爆弾が落とされていたが、不思議なことにテレビを点けても戦争の情報は一つも流れてこなかった。それに人々は以前と変わらぬ表情のまま、空を見上げることさえしないのだ。
 僕は堪らなくなって、リヤカーに家財道具と彼女を乗せて街を脱出した。途中でリヤカーを止めて後ろを振り返ると、街が赤く燃えていた。
 彼女は燃える街を背にしながら、「私も幸せよ」と言って僕の涙をぬぐった。

プロフィール

Author:euReka(エウレカ)
euRekaと申します。小説や詩を書いています。

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