【短編】 冷蔵庫の物語

feet-932346_640.jpg
 そいつは冷蔵庫から出てくると、ハローと言った。私は冷えたビールを飲みたいだけだったので、誰かに挨拶されるなんて考えもしなかった。
「冷気が逃げるから、早くドア閉めたほうがいいわよ」とそいつは、ソファにくつろいだように腰かけながら言った。「それに、まずは冷蔵庫のドアを閉めないと落ち着いて話ができないでしょ」
 そいつが言っていることはその通りなのだが、このままドアを閉めたら、今置かれている状況を受け入れてしまうことになる気がしたので、私は一旦目を閉じて深呼吸をした。
 すると次の瞬間、バタンという音が聞こえたので目を開けると、そいつが冷蔵庫のドアを足で蹴っているのが見えた。
「目の前のことから逃げても何も解決しないし、物語はもう始まっているのよ」

 私は、自分の置かれた状況を一週間ほど静観していたのだが、そいつはいつもソファでゴロゴロしたり、お菓子を食べたりしているだけの存在でしかなく、物語が始まったようにはとても思えなかった。あるいは、何も起こらない物語もあるのかもしれないが、そもそも現実というのは物語のように何かが起こる必要はないのだ。
 しかし、一ヵ月ほど過ぎたあるとき、そいつは私のことを「兄さん」と呼び始めた。
「実はあたし、兄さんの妹なの。だから兄さんのことを兄さんと呼ぶことにしたの」
 本当の妹なら兄さんと呼ぶのは当然だろう。しかし、嘘の妹であるお前にはそんな資格はないと言って突き放すと、そいつは無言で冷蔵庫のドアを開け、再び冷蔵庫の中へ戻ってしまった。
 私は、ソファに座ってしばらくテレビを眺めたあと、何事もなかったように冷蔵庫を開けた。そこには、ビールや食材が入っているだけで、変わったものは何も見当たらなかった。

 そいつがいなくなってから、私はたまに手紙を書いて冷蔵庫の中へ置くようになった。返事が返ってくることもあれば、返ってこないこともあった。お前は嘘の妹であるが私の妹であることに変わりはないと手紙に書くと、そいつは、「はじめから兄さんの気持ちは知っていたわ」と返してきた。
 そして今、そいつは家電売場で冷蔵庫の販売を担当しているのだという……結局、冷蔵庫で話が終わるというのは月並みな展開かもしれないが、そいつはそういう物語で満足しているようだし、私も別に不満はない。それと、はじめから私の気持ちを知っていたなんて嘘だ。でも、そんなことも全部含めて、私はそいつが好きだ。
スポンサーサイト

【短編】 暗闇で君に会いたい (2010/10作)

bus-1834485_1280.jpg
 みんなが僕と目を合わさないのは、きっと僕が猫の死体なんかを手にぶら下げているせいだと思う。僕はこの憐れな猫をどこか適当な場所に埋めてやるつもりだったのだが、適当な場所なんて、そう見つかるものじゃない。
「君ちょっと!」
 緊張した顔の警官に、僕は突然呼び止められた。
「ここで何をしてる」
「デートの待ち合わせを」
 警官は緊張を緩めない。
「手に持っているものは何だ」
「アイスクリームにでも見えますか?」
 僕がそう言うと、警官は顔を紅潮させ僕の胸ぐらを掴んだ。
 僕は猫を持っていない方の手で上着のポケットから拳銃を取り出すと、警官のこめかみに銃口を当てた。
「じつは、その相手の女とはずっと昔に別れたきりなんです」
「ああ……」
「でもまた会いたいっていう手紙を彼女からもらって、今日はここで待ち合わせをしてたって訳なんです」
 僕は警官の腰ベルトから、猫を持った方の手で器用に拳銃を抜き取ると、両手を上げる警官にさよならを言った。
「もし彼女が来たら伝えて下さい。やり直すのは、やっぱり無理だと」
 僕は人ごみに紛れこみながら、目に付いた地下鉄の階段を降りていった。地下鉄の構内では、オレンジ色の宇宙服みたいなものを着た人やヘルメットを被った人たちが、何かを叫んだり忙しそうにしていたので、死んだ猫をぶら下げている僕のことを変な目で見たりする人は全然いなかった。
「ここは危険です! 今すぐ地上へ逃げて!」
 僕は自動改札を飛び越え止まっている電車に乗り込んだ。車内には、床に倒れた人や白い泡を吹いている人たちが大勢いた。
「ねえその猫、名前なんていうの?」
 ふいに小さな女の子が僕に近寄ってきた。
「名前は知らないけど……君、大丈夫?」
「うん、大丈夫。その猫、眠ってるの?」
「まあね」
 電車がゆっくり動き出したので、僕は女の子の手を引いて座席に腰を下ろした。
「ねえ、なんかワクワクしない?」と女の子は言いながら、僕の顔を下から見上げるように覗きこんだ。
「君といると、なんだか楽しいよ」
 僕は真っ暗な地下鉄の窓を眺めた。
「あたしがお母さんで、猫はお父さん。あなたは、あたしの子供ね」
 車両の隅で、岩のようにうずくまったエレファントマンが小さく、醜悪に頷いた。
「だからあたしがみんなを守るの。だってあたし、お母さんですもの」
 僕は泣いていたと思う。そして暗闇は無言のまま、バラバラに砕けていく僕たちをじっと見ていた。

【短編】 幽霊と映画と手帳

park-bench-421899_1280.jpg
 こんにちは。

 わたしはだぶん幽霊です。
 なぜそう思うのかというと、誰かに話しかけても反応がありませんし、すぐ目の前にわたしがいても全く気づかれないからです。もともと人とあまり話すほうではなかったので、最初はそれほど気になりませんでした。しかし、何をしても相手の反応がないので、その理由をあれこれ考えているうちに、自分は幽霊になったのではないかと思ったわけです。だとすると、わたしはすでに死んでいることになりますが、自由に移動できるのは今いる公園の中だけなので、自分の死を確認することもできません。ただ、服装はコートとマフラーのままなので、もし死んでしまったのなら、そのときの季節はたぶん冬だったのでしょう。

 わたしは普段、公園のブランコに腰かけたり、桜の木に登って辺りを眺めたりしているのですが、何の目的も与えられず過ごしているせいか、時間が流れているのか止まっているのか、よく分からなくなることがあります。もちろん、昼と夜が変わったり、人が公園を歩いたりするという変化はありますが、わたしには、それがまるで映画のように見えてしまって、目の前で本当の時間が流れているのかどうか分からなくなるのです。二時間の映画なら、それを観た人にとっては二時間という時間が過ぎたことになりますが、映画の中では何年も、何十年も過ぎていることだってあります。当然、それは映画なので、その中で何十年過ぎようと何の不思議もないのですが、そう思えるのは、「これは現実ではなくただの映画なのだ」という安心があるからでしょう。

 そんなことを考えながらいつものように過ごしていると、わたしは公園のベンチに手帳が置いてあるのを見つけました。きっとこれは、昨日このベンチに座っていた高校生が忘れていったものでしょう。わたしは手帳を開き、付属のペンで「こんにちは」と試しに書いてみました。すると、紙の上にちゃんと文字が書けているのです。幽霊のようなわたしの書いた文字なんて普通の人には見えないかもしれませんが、もし手帳を開いたあなたにこの文章が読めたとしたら、わたしの存在を知ってもらえるかもしれません。あるいは、ただの悪戯だと思われるのがオチかもしれませんが、もし何かを伝えることができれば、あなたとわたしは、その瞬間だけでも同じ時間を過ごしたことになるのです。それはきっと、一方的に流れるだけの、映画の中の時間とは違うはずですから。

【短編】 おかえり (2010/09作)

model-2411697_1280 (2)640
 その不安定な粒子はぐるぐると円を描きながら、造形的に不可能な像を結び始めていた。
「例の土、ありますか?」
 僕は仮にその像の内部領域をP、像を覆う外延をQ、そして任意の観測点をRと呼ぶことにする。
「例の土とはなんだね」
「例の、神がアダムを作ったときの」
 骨董屋の老人は顔を上げ、手に持った虫眼鏡越しに僕を覗き込んだ。
「あんたは誰だ」
「僕は旅人です。遠路はるばるアダムの土を求め旅をしてきました」
 老人は虫眼鏡を番台に置くと、湯飲みを持ち上げ茶をすすった。
「あれは、随分昔に売り切れたよ」
 嘘だ。
「所詮、ただの土くれさ」
 像の内部領域Pが無限大であるのに対し像の外部領域Sが有限であるとき、像の外延Qは無限かそれとも有限かという問いを観測点Rはふと思った。
「ねえお爺さん」
 埃のかぶった骨董品の奥から、黒眼鏡を掛けた若い娘が現れた。
「この人、今晩泊めてあげたら?」
「そうだな。お前がそう言うのだったら」
 黒眼鏡の娘は白い手を差し出すと、まるで花瓶を品定めするような手つきで僕の顔を撫でた。
「フフ、困った顔してる。観測点Rさん」
「君、目が悪いのか?」
「ええ、でも答えを知ってるわ」
「答え?」
 僕は娘に手を引かれながら、今にも崩れそうな骨董品の山の中へ入っていった。
「アダムの土はきっと偽物よ」
「なぜ偽物だと?」
 娘は僕を暗がりの中のソファに座らせると、僕の耳にそっと唇を押しつけた。
「この店にはね、本物なんて一つもないの」
 時間Tは像の内部領域と外部領域において別々の、相対的に逆行しあう時間軸を持っているが、その関係はあくまでも相対的であり、各領域の時間軸が正進か逆進かを判別する手段は無く
「だけど問題の本質はね、二人がこの世界で出会えるかどうかなの。時間Tが有限であれば逆行しあう二つの時間はいつか出会える。でも時間が無限なら、二人は永遠に出会えない」
 僕は娘の黒眼鏡をゆっくり外すと、闇に浮かぶ娘の白い顔にナイフを当てた。
「ところで、アダムはどこにいる?」
「死があり、出会いと別れがあるのはね、この世界が無限ではないという証拠なの」
 でも人はみな一人で生まれ一人で死ぬ。
「あなたは孤独じゃない。ただ今のあなたには、孤独と欲望の区別が出来ないだけ」
 僕はナイフを握り締め、娘の頬を一直線に切り裂いた。
「おかえり」
 虚空を見つめながら、娘は僕の腕を掴む。
「あなたが、アダムよ」

【短編】 沈黙することは賢い、だから僕は沈黙しない (2010/08作)

asian-1870022_1280.jpg
 8月の、とある原子野を歩く私。
「ねえ、夏休みの宿題やってる?」
 ヒロシマ・ナガサキの時とは、全く違う思想で作られた新型の原子爆弾らしい。
「夏休みの自由研究さ。この写真を見てごらん。体中の皮膚がむけて、赤くただれてるだろ。彼女は中学生の女の子でね、初めての恋文をまだ渡せずにいるんだ」
 再びメールが届いた。
「相手の男の子は無事だったの?」
「ああ、彼は無事さ。裏山の鉱山で、ウラン鉱石の採掘に動員されていたからね」
「よかった。早く彼女のこと抱き締めてあげて。きっと、すごく怖がってるから」
 私は裏山へ彼を捜しに行った。
「村井Aくん! どこにいますか!」
 赤く燃え盛る街を、無言で見つめる男子生徒たち。
「同じクラスの坂本清子さんから手紙を預かってきたんです!」
「おい! キヨちゃんがどうしたって!」
 私は、駆け寄ってきた村井Aに坂本清子の恋文を渡した。
「どうしてこんなときに」と村井Aは言いながら手紙を開いた。「そんな……、俺、嫌われてると思ってたのに」
 村井Aは読んだ手紙をギュッと握り締めると、鉱山の斜面を転がるように駆けて行った。
「で、そのあと二人はどうなったの?」
 坂本清子は数時間後に息を引き取った。村井Aは被爆の後遺症に苦しみながらも、79年の人生を生きた。
 村井氏は晩年に記した自伝の中でこう述べている。
「幼馴染みだったキヨちゃんの変わり果てた姿を目にしたとき、私は彼女に近寄ることすら出来ませんでした。彼女はもう人間の姿をしていません。まるで地獄の使者か、さもなくば、新しい神か……」
 私の自由研究はすでに5千ページを超えていた。ヒロシマ・ナガサキの原爆と酷似している、この新型爆弾の意味とは何だ?
「坂本清子は普通の女の子よ」
「分かってる」
「この戦争を止めて」
「それは出来ない」

 ♪おもく重なった アキバの空の下 人刺して わが子密室で 餓死させて 毎日の テレビ画面のあちらとこちら
「歌?」
 ♪息とめて 痛み閉じ込めて 死にたくなったら 一人で死ねっていうキモい戦争

「もうやめて下さい」
 坂本清子が私の手をそっと握った。
「手紙、届けてくれてありがとう」
 目の前には、緑の草原がどこまでも広がっている。
「ここは?」
「原子爆弾の故郷です」
 誰もいない草原を、夏風が吹き抜ける。
「彼らを、故郷へ帰します」
「彼ら?」
 メールが届いた。
「P.S. また、学校でね」

プロフィール

Author:euReka(エウレカ)
euRekaと申します。小説や詩を書いています。

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR